モロッコ

November 13, 2010

恋愛を何かに例えるなら

CIMG360011月、13日。本当に根気よく待ったものだ、私が滞在しているHOTELSAHARAでも、もうレセプションの人が3人目である。数日ごとに交代しているようで、私が風邪を引いていると認識し、時々様子を見に来てくれた人は最初の人だけだった。
風邪は順調によくなり、日に日に微熱も頭痛も薄れている。

ひとりで暇な時間を過ごしているからか、西アフリカ用に持っていた文庫本を読みあさってしまっている。そのせいか、妙に文章を書いてみたい衝動にかられ、同時に様々なことを思い出しては何度も何度も、考えている。

今日の朝ふと思ったことがあった。この前ブラザーと恋愛について話していた時、だれかと付き合っている時ほかの人に恋をするということがどういうことなのか、というようなことを話したことを思い出していた。私は誰かに恋をしているとき、ほかの人に夢中になったことがない。イランでマリヤンと過ごしていた時、彼女たちの男遊びにほとほと嫌気がさし、あのとき、真面目な私が彼女たちと会う必要はどこにあったのだろうと思ったりもした。
ブラザーに、だれかと付き合っている時、ほかの人との出会いを否定することは不自然ではないかというようなことを聞いたとき、不自然というその言葉が自分にひっかかった。いや、ほかの人に惹かれることはあるのだ、そこから前進していかないだけなのだと思うも、それをうまく説明できなかった。
今日の朝ふと思ったのは、私にとって恋愛とは、旅をすることにとても似ていると思ったことだった。

ほんの小さな興味だけで、その国に入ってみる。
その国の中に入る時は、いやでもその国を全身で感じなければならない。いいことも悪いことも気持ち良く、いいや悪いという感覚がなくなるころその国を出ていく。
決して自分が二つの国のうえに同時に立つことはできない。どこかにいるとき、その国ではない国のことを考えたり思ったりすることはできても。

ほんの小さな出来事、老人との話、子供の笑い声、握手を求められた時の温もりや予想のできなかった出来事。どきっとする事柄は、ホテルの宿の部屋のドアを押した時から毎日だ。私にとって、何もない日なんて旅の中にはない。それは日本にいる時もそのはずなのに、なぜかそのことを忘れることがある。

今読んでいる本が久々に恋愛ものだからかな、こんなことをつらつらと思うのは。
きっと、私が待っている人に会えるのは明日だ。この数日の間に他にも予定ができ、私は急ぎ足になるため彼とどこまで一緒になるかは分からないけれど、ただ、やっと会えるというだけで明日がどきどきする。

saraswatiganesh at 21:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

一難去って幸来る!?

CIMG359411月、8日。あゆみちゃんが去って翌日、熱は下がり、でも微熱や咳、青っぱなはすぐには引かない。ただ、このぼーっとした頭を抱えて今日も一日中この部屋にいる気にはなれなかった。ただただ、今の現場をどうにかしたい。

ネット屋に行ってみる。すると欲しい人からのメールがあり、彼は私に優しく,そしてさらに,あるサイトの掲示板に書き込んだ私の書き込みを読んで、返事をくれた人がいた。彼もこれから陸路でモーリタニア(ときどき、もうリタイアと聞こえる)に向かうから会いましょうとのこと!一難去って幸来るだ。。。
私は彼がこの私のいるダクラという町に到着するまでの、彼のビザ受領や移動の日々を待とうと思い、私の持っている情報をメールで伝えた。

これといって何の観光地も持たず、ほんの小さな広場で唯一お店が並び、道路は必要以上に広く感じられるこの町で、私は何日待つのだろうか、でも、待っている間にきっと風邪を治すことはできるだろう。どちらにしてもマラリアの棲息する西アフリカへ突入する前に、体調を崩していたのでは、ハマダラ蚊にどうぞと言っているようなものだ。モロッコ国内で多分一番黒人が入るこの町で、西アフリカに思いを馳せながら、風邪菌を死滅させるべく体力回復に務めようと思う。

saraswatiganesh at 21:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

November 11, 2010

ダクラで再会

CIMG358524時間のバスに揺られて、着いた町は、ダクラ。モロッコでもまだ領土問題で解決していない、西サハラと呼ばれるエリアの中にある、モーリタニア手前の最後の町だ。
ここで、私がメルズーガから電話をした日本人女性が私を待っている。彼女はモーリタニアからもうここへ戻ってきていたのだ。
バスの窓から見えた彼女、あれ!?見たことのある顔、彼女はアルメニアとグルジアで2回会ったことのあるあゆみちゃんだ!

私たちは再会と同時につい抱き合い、喜んだものの、話を聞くと彼女は世界一周航空券で旅をしているとのことで、そのスケジュール的にもう西アフリカは諦めないといけないということだった。。。急いでここまで来たのに、と私は落胆した。
しかし彼女は、このあとのアメリカ大陸行きのチケット全てを捨ててでも西アフリカに行くことを考え出し、私は彼女を迷わせるべく西アフリカのハイライトを写真で見せたものの、それ以上はやってはいけないと彼女の返事を待った。
3日後。やっぱりモロッコ本土へ戻っていくあゆみちゃんを、私はここらで疲れが出たのか発熱したため見送れず、久々に熱まで出た風邪菌と戦う自分と、また一緒に行く人を探すという振り出しに戻ったことで気持ちはどん底に落ち込んだ。

Tくんにメールで弱音を吐き、でもだからといって西アフリカへ行くことをやめるというにはすぐに決断できない気がした。ひとりでも、入る、そういう気持ちでここまで来たはずだ。でも。。。と、日本に入る友人たちには分からないであろう私のこの臆病さ。みんな、ひとりで長旅にでることだけで私は勇気があると思っている、そう、そうなのだ、それ以上の勇気を振絞らねばならぬとき、レモンでいうとあと1、2てきの勇気しか私は持っていない。

saraswatiganesh at 22:03|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

見送り

CIMG357611月、3日。
マラケシュの、弟といった方が適切な友人(過去のブログにも登場、以下ブラザー)の住んでいる社宅に戻る。置かせてもらっていた荷物をバックパックに詰め、同居人たちとモロッコについて話をした。旅をしている人もそこに住んでいる人も、その国に感じている不思議さを話し合うのは面白い。
翌日、ブラザーが仕事をそっちのけにして私を見送ってくれた。誰かにこんなところで見送られるとは思いもよらず、彼が[今生の別れかもしれんから]と言った言葉には少々驚いた。驚いた後で、その言葉の表現の仕方に彼らしさを思った。死ぬってことが終りじゃないと、彼もきっと感覚で感じて生きているのだ。
バスの出発時間ぎりぎりまで一緒に昼食を食べ、急いでバスに乗り込んだ。バスに乗って別れ、彼の後ろ姿を見ている時、ここでこうして彼に見送られたことが、この先の私のアフリカ行きに、何らかの力をもたらしてくれるような気がした。

それほどまでに彼の存在は私という人生の中において大きい。人と人のつながりは、私たちが安易に使っている言葉では表現できないものだとつくづく教えてくれた人だ。
それは、旅をしている中でも学んでいる。

saraswatiganesh at 21:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

マラケシュへ急いで

11月、2日。
気がつくともう月日は11月になっていた。砂漠ツアーから宿に戻ってくると、宿の人から、私のほかにも西アフリカに一緒に行ける人を探している人がいると聞き、その人の持ってる携帯に電話をかけた。日本人である。彼女も私と同じく、女ひとりでブラックアフリカに突入するのがこわくて、同行者を探しているとのこと!
女同士だけど、お互いひとりよりは心細くない!電話をかけると、とても元気のいい女の子だった。
ただし、彼女はもうすでにモーリタニアに入っているとのこと。早く来てほしいことを匂わす彼女目がけて、私はすぐにマラケシュへ戻り、そこからモーリタニアへ向けて出発することにした。
慌ただしいものの、砂漠に体も心も沈められたここメルズーガ村。モロッコに旅行に来る人たちのほとんどが、砂漠地方を訪れる理由が分かった気がする。

saraswatiganesh at 21:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

見たくて

CIMG3538実は、ずっとむかしから、この模様を見てみたいと思っていた。
テレビや写真でしか見たことのないもの。

今回私が旅に出てくる前に日本で、
今やプラズマの大きなテレビ画面で、家庭の中で、世界中の様子が見れるのにどうしてわざわざ見に行くの、と、
私に本気で言った人がいる。
私はその人の勇気を思った。だってみんな何といおうと、見に行ってないもの。何かを見たくて、感じたくて何かを捨てる勇気を持ってない人が大半だ。

私は展覧会の仕事をしていたからだろうか、
見たいものが私の場所へ来るのを待つことが、私のしたいことじゃない。
それがあるべき場所へ行かなければ、見えないものが見たいんだ。

ああ、すごい。
ほんと、来てよかった。

saraswatiganesh at 03:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

スタンプ

CIMG3523砂漠をゆくらくだの足は、私の足のように醜く砂の中に潜っていかない。
ひ爪の皺の流れをも、砂の大地のうえにスタンプしてゆく。

saraswatiganesh at 03:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

いとおしいって

CIMG3496ハシシばっかやってるある日本人男子が、
これやるといとおしいって気持ちが溢れてくるんすよ、と、言う。
そんな彼の言葉を何回か聞いているうちに、いとおしいって気持ちについて考えていた。

愛しいって気持ちは、愛があった上で成り立つものなんではないだろうか。
恋愛にしろ、美しいという単一的な感情にしろ、そこに愛というものがあってこそ成り立つものだと思う。

今人から借りていて読んでいる本があるが、ちょうどその中で、私がこの言葉に感動した場面があった。
壊滅的な飛行機事故で大勢の人数が死に、遺族の人たちがなくなった人の手足や体を遺体安置所で探す場面で、夫に先立たれた若い妻が夫の体を虱潰しに探している。
何度も遺体安置所に通い、足、胸を含めた胴体を見つけていくシーンで、彼女は夫にあった小さな手術の痕を見つける。
目を凝らしてその痕を見つけたときの彼女の心情を後に聞くと、
いとおしかった。。。
彼女がそう言ったシーンで、私の目から涙が垂れた。

こんな場面で、こんな心情になるだろうか。いや、きっと、なり得ると思った。その人を本当に愛している人だからこそ、彼の持つマークのようなものを異様に愛しいと感じる瞬間がある。愛しいという言葉が表現しているものは、日々その人を愛した証とでもいうかのような。そういうひとつひとつのものは五感で記憶され、見た瞬間にそれらすべてが想い出される。

この感情に浸るのは幸せだろうとただ思う。でも私は、この感情を形作るものも積み重ねてゆきたい。世界のものを見ていとおしいと思う時、私にはそう思うための何かを積み重ねているか自問自答する。

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色のことをあらためて想う

CIMG351010月、30日。
らくだに乗って、ゆっさゆっさと私の肉が揺れる。たったの4時間、私たちはただらくだの背に乗っていただけなのに、ほんの小さな3つの家が点在する不思議な場所に着いたときにはもう、体全体がけだるく疲れていた。
3人が横になるのがやっとの小さな泥づくりの家の中で、一緒に来た日本人男子のふたりはハシシの用意。私はこの不思議な場所を認識するだけで精一杯な気がした。
Tくんに、モロッコの砂漠に行ったら星がものすごく見えるよ、と聞いていただけに期待していたが、実際私は日本の奈良の山奥で山中泊していたときのほうが星が見えると思ってしまった。ただ,星の美しさは数じゃないということに気付かされはしたが。
夜よりも、私はその、夜に遷り変っていく世界の色の変化に感嘆した。
どこにいても、夕方から夜にかけての色の変化の美しさにはものすごいものがある。京都の大学に在学していたころ、夕日が落ちたあとの空気が青くなる時間を私は毎日図書館から眺めては、季節によってどう違うのだろうという好奇心から、その時間をはかって記録したりもしていた。
でも、ここで見たその色の遷り変りは、とてもじゃないけど目が離せないものだった。カメラをのぞくことすらためらってしまっていた。
地平線は足元である。そんな情景が360度広がっている。私がいる場所は家が3つ建っているだけの場所。

色って、美しい。色を持っているってことは、太陽に愛されているということだ。みんな,どこの国にいる人も同じように色を持っている。そして時にこんなにも艷やかに、変化させてくれる。

あらためて想う、ここにいるだけで、自分は愛されているっていうことを。

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November 09, 2010

砂漠というもの

CIMG347110月、29日。砂漠へ。
砂漠って、なんて美しくて、無菌で、生きものを感じない世界なのになぜにこうも息づいているのだろう。

夜行バスで着いた砂漠地方、メルズーガという小さな村。この村に着く手前から、ずっと、背の低い泥の家とヤシの木ばかりの風景になる。そのほかは、全部荒涼とした砂漠。
今までの旅の中で、砂漠と呼ばれる場所へは幾度か行った。でも、こんな微粒の砂丘を目の当りにしたのは初めてだ。

こんなところにもある日本人宿にチェックインし、日が上って暑い時間にもかかわらず歩いて1時間はするという砂丘に登ってみることにした。宿の屋上から見えるその砂丘は、近辺で一番高いもののようだった。
フェズから一緒にここまで来たこうたくんとふたりで登ってみる。ふもとまでは楽々行けたが、砂丘に登るころになると足が砂にとられて思うように進めない。でも私たちは砂の美しさに気持ちが高揚していて、前に進めない感触さえも楽しんでいた。

見たこともないもの。感じたことのない感触、。

サンダルを脱いで砂漠の上に立つと、足が沈むときと沈まないときがある。全身のバランスをうまく砂の上に置いた時は沈まないように感じた。ただ、登りになるとどうしても沈む。そんなとき、ひどく自分の体を醜く感じた。この砂の大地に、受け入れられてない気がした。
モロッコに来てから、いろんな場面でここがアフリカ大陸なのだと思わされることがあるが、その中でも今日は、また本当に強く、そう思わされた一日だった。この砂の熱さ、忘れられない。


saraswatiganesh at 22:38|PermalinkComments(2)TrackBack(0)