アゼルバイジャン

July 27, 2010

シェキ・ピティ

CIMG1744ここらでちょっと、食べ物の話を。
この写真はシェキ特有の、シェキ・ピティと呼ばれるもの。さらさらしたシチュー(スープ?)には、牛肉とヒヨコ豆が大量に入っている。

ウズベキスタンに入ってからというもの、とにかく人々はパンばっかり食べてるなぁと私は感心している。基本的にごはん派の私も、この地方ではそんなこと言ってられない。ご飯がないわけではないんだけど、それはスープの中に入っていて既に具となっていたり、甘ーいお菓子になっていることが多い。白米はほぼない。

ウズベキスタンでは丸い形の、外側が硬いパン。直径20〜30センチはゆうにある。地域によって多少パンの形は違うものの、私には全て同じに見えていた。パンは泥などで固められた穴窯で焼かれ、焼きたてはほんとこおばしい。

ウズベキスタン→トルクメニスタン→アゼルバイジャンと移動してきて、ここアゼルバイジャンが特に欧米化が進んでいるからか、パンの種類は豊富だ。外側が柔らかく小さいパンなどは、目に新しい。

パンは、遠出するときは必ず大きなバッグやビニール袋の中に幾つも入れられている。いつでも手でちぎって食べ、バターやチーズ、トマトやハムもドンドン出てくる。そういやウズベキスタンでは、電車の中に陶器のポットとコップが全員に出されるのには驚いたな…。

シェキ・ピティに限らず、パンはスープと食するときは、ちぎってスープの中にパンを皿いっぱいに入れてからスプーンですくって食べる。水分を含みすぎたパンはあんまりおいしいと感じないのだが、みんなこれが礼儀だといって教えてくれる。最近は慣れてきて、気づいたらパンもかなりの量を食べてしまっている…!!

あれ?と気づいたときには遅かった。私はインドにいたときの自分と比べようもなく太っていた。大体、シャシリクと呼ばれる串刺しのお肉もありえない大きさで、地元の人に言わせると「小さいとおいしくない」のだそうだ。日本の焼き鳥はどうなるの!大きいものだと焼き鳥の5倍はあるよ、ここのシャシリクは!一般家庭で鉄製のシャシリク用の串を持ってない家はないそうだ。関西のたこ焼き機のようなものかな。違うって?

saraswatiganesh at 18:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

外壁に上る人たち

CIMG1741ここシェキの、家の周りの外壁は高い。道を歩いていても家々が見えなくて、ちょっと残念だ。
しかし夕方になると、そこらじゅうの人がその壁を内側から登る。道を歩いていると、少し斜めの上方から見られまくりである。特に子どもや青年たちはじっと私を見る。ちょっとー、そんな上から見つめないでよ。

ふとカメラを向けると、壁の上でポーズをとってくれた。おでかけバッグも持った少女。これから、デートかな。

saraswatiganesh at 18:44|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

不思議な宮殿

CIMG17317月、22日。昨日SHEKIシェキという町に着き、周囲の人に聞きながら宿にチェックイン。まだ14時で、歩いていける距離にあるシェキの宮殿に行こうと思えば行けたが、昼食を食べると何だか疲れが出ている気がして、もう一泊することにした。

今日の朝、その判断は適正だったと思った。ふと気づくと、私はウズベキスタン出国の日から毎日移動していたのだ。こんなに連日移動したのはいつぶりだろう、と手帳をめくってみると、こんなに連日移動したことは今回の旅の中ではまだなかった。

ゆっくりする時間は、道沿いの植物たちや動物たちにも目を向けさせる。

そして今日、ガイドブックにも載っているハン・サラユという宮殿へ向かった。ここは18世紀にこのあたりを支配していたシェキ・ハーンの夏用の宮殿で、宮殿と言うには小さい規模だが、トルコの有名な詩人もソ連時代にここを訪れ絶賛したという。

私にとっては、奇妙な建物という感じだった。

外観の装飾も奇妙だが、内部の装飾もかなり奇妙だ。窓は全てステンドグラスで細かく色別になっている。天井や壁面にも全て細かい絵が描かれていて、それらはよくよく見ると子どもが描いたような稚拙さがあって素敵だった。動物が野山を駆け巡っているかと思えばライオンに食べられていたり、人や蛇?の口の中から甘美な花々が飛び出していたりと、今までに見たことのないものだった。
建物の内部の作り自体は、沖縄の首里城を思わせる。

ウズベキスタンで見た建造物はイスラム教の宗教的な建造物が主だった。それらに施されている装飾は連続的で接続的なものが多く、一箇所でも間違うと次の装飾が接続しない。その「ひとつも間違ってはいけない装飾」が、美しくもあり、少し息苦しく感じたのも事実だ。しかしここは、また違うおおらかさがあった。

saraswatiganesh at 18:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

アゼルバイジャンの都会っぷり

CIMG16527月、21日。駆け抜けるようにして、たった3日でトルクメニスタンを抜けたが、実は私の持っているアゼルバイジャンのビザも、たった5日なのだ。なので、入国した翌日には、もう首都を離れなくてはいけなかった。
アゼルバイジャンからはグルジアに抜けられる。グルジアは日本人はビザなしで3ヶ月の滞在が可能だ。

ルート上で行ってみたいと思うアゼルバイジャンの町は、山の上に会った。山の上と言っても山奥ではなく、ここ首都から何本かのバスも出ている。そのバスに乗るため、メトロに乗った。

長距離バスターミナルというものは、どんなに発展している国でもそれなりに汚いものだと思っていた。バスや車は山の中も走るわけだし、当然すぐに汚れる。人々は多くの荷物を持っていて、バスの中ではお菓子を食べたりとせわしないはずだ。
しかし、メトロを降りて市内バスに乗り向かった長距離バスターミナルは、見落とさないようにとバスの窓から外ばかり見ていた私の予想を大きく上回ったものだった。…これが、バスターミナル!!?…空港じゃん!

バスの行き先はバスに書かれてあるもののアゼルバイジャン語だ。しかしなんとデジタルの電子版に大きく行き先が英語で記されていた。時間も、バスも、迷わずにすぐ見つけられる。

インドの土と泥まみれの中、掘っ立て小屋のビニールシートの屋根の下で雨の中。大きなバスターミナルの端っこでバスを待っていた日が懐かしい。インドでこれは、無理だろうな。いくら発展しても。

saraswatiganesh at 18:23|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

アゼルバイジャンの都会っぷり

CIMG1645こんなもの、トルクメニスタン人に見せたらびっくりするんじゃないだろうか…。砂漠の砂塵にまみれたら、元も子もないけど。

saraswatiganesh at 18:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

アゼルバイジャンの都会っぷり

CIMG1603首都BAKUバクーにて。この国はイランと国境を接しているので、イランの食材が売っている店がいくつもある。イランと言えばグルカ(女性が着ている黒い大きなコート)だけど、この国で着ている人はいない。イランの女性たちは、この国に羽伸ばしに来ているのかもしれないな。

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メトロで、そして旧市街での再会

CIMG1601船を下船し、イミグレを通ってアゼルバイジャンへすんなり入国。船着場から駅まで歩こうとするも、親切なおじさんに会ってバスを教えてもらい、まだアゼルバイジャンマナトを持ってないことを伝えると、バス賃ももらってしまった。

駅で両替し、メトロを使って宿へ向かう。メトロ入り口にはポリスがいて、大きな荷物を持っていると中を開けさす。はぁー。

文句を言いながら中を開け、ちょっと見せて納得させた。メトロへ降りていくそのエスカレーターはめちゃくちゃ長く、うわーと思って写真に撮る。

すると、どこからともなく大きな声が。「ヘイ!ヘイ!へーイ!」と聞こえる。なんだなんだ?と声のするほうを見ると、なんとウズベキスタンで2度会ったことのあるアメリカ人が、下から上へ行くエスカレーターに乗っていた!

キャーーー!すごい!

「どこへ行くんだ」とすれ違う中とっさに聞くから、「サーヒル!」とメトロの駅名を告げたが、後から考えると私がバックパックを担いでいたから、彼は私がこの街から離れると思ったに違いなく。「宿に行くの」と言えばよかった。
しかもメトロは、一度降りてしまうと上れない。というか、上ってしまうとまたお金を払って入らなければいけない。仕方なく、そのままメトロに乗った。

実は彼は、私がウズベキスタンのある町に着いたとき、駅から出てきた私にいい宿や、その宿への行き方を教えてくれた人だった。今回も私が街に着いた途端に、会うなんて。

しかしここバクーはかなり発展した大きな街だ。行った宿には、ほかに外国人は泊まってないと言う。インド並みに汚いのにほぼ30ドルもするこの宿。泊まろうか悩んだが、ガイドブックにも他に安い宿は無く、また船着場で会ったフランス人も、バクーにやすくていい宿はないと言っていた。仕方なく、チェックインする。

とにかく荷物を置き、街へ。旧市街を目指しうろうろする。バクーは古いものも修復してきちんと残していたり、町並みは欧化が進んでいてとてもきれいだ。交通違反を取り締まるポリスの音がひっきりなしに鳴り響いている。

あー、彼にもう一度会えたらいいけどなーと思っていると、旧市街の端っこに座っている彼を発見!うわー!!

ちょっと!びっくりしたよ!!と英語で言う。彼がハッと上を向き、おお〜〜、と言ってくる。

彼によると、この近くに16ドルできれいな宿があるらしい。はぁーいつも宿情報、すごいなぁ。ガイドブックにも載っていない最近できたいい宿は、旅行者から聞くしかない。
彼の隣には、優しくてくぁいい顔立ちのフランス人の男の子もいた。彼は明日の夜、列車でグルジアへ行くと言う。私も数日後に行くよ、と言うと、グルジアで会うかもねとかわいく笑う。
彼らは、私より一日前に同じルートでアゼルバイジャンへ入国したのだそうだ。いくら払った?と聞くと、アメリカ人の彼は90ドルと言った。うん、そうだよね、高いよね〜と言うと、フランス人の彼が、「え?」という顔をしている。「僕、100ドル払ったんだけど…」と彼が言った瞬間、私たちは笑った。そのかわいい顔が、そうさせたんだよ〜と言うと、ええ〜!?と驚く彼。

私があの白人のおばさんに怒鳴り散らしている場面を彼に見られていたら、相当引かれていただろうな…。

saraswatiganesh at 01:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

年齢

CIMG15947月、20日。船は海を走っているわけではないからか、揺れは少なかった。部屋は汚いものの疲れていたからか、よく眠れた。
それでも朝早くに目が覚めて、まだ外は暗かった。ガイドブックに「12時間」とあったものの、実際は何時間後に到着するのか全く分からなかったので、早めに準備しようと目覚ましを4時半にしていた。
準備を終え、窓の外が少し明るくなってきたので外に出た。東の方角を見ると、薄く太陽が上がってくるのが見えた。そこには一人のおばさんが、私と同じように朝日を眺めていた。彼女はお掃除おばさんのようで、雑巾のついたモップを置いて、ぼーっと見ていた。

「ツーリスト?」と聞くので「ダーダー(そうそう)」と答える。「ロシア語が話せるの?」と聞くので話せないと言い、トルクメニスタン語もアゼルバイジャン語も話せないと言い。それでも彼女とジェスチャーなどで、一人旅とか、日本人だと伝えた。彼女は「日焼けがいい感じよ〜」と言ってくる。そう?うれしいなぁ。

朝日が上がってきた。その前に見えるアゼルバイジャンの町並みは、ビルが乱立していてものすごい都会のように見えた。ここが、アゼルバイジャンの首都BAKUバクーだ。

荷物を持ってこいと言うから、バックパックを担いで部屋を出た。船員のおじさんたちが手招きをする。船を下船できるのは9時だという。今は7時半。まだまだじゃん。

船員の男の子たちが集まってきて、私のことを面白がる。言葉を解さなくても、なんとなくどんなことを言ってるのかは分かるものだ。彼らのしぐさを見ながら、私は喜んだり怒ったりすると、彼らが笑う。
面長の顔立ちをした、エミールという20歳の男の子が、私に電話番号を渡してきた。あのね、私は32歳なんだけど…と思いながらも、そう言うと引かれるような気がしたのでサバを読みまくって26歳と言うと、ふんふんとみんな頷く。

エミールにアゼルバイジャンマナトのレートを聞き、またタクシーの相場も聞いておいた。彼らはアゼルバイジャン人で、船で働いているが英語はほとんど話せない。

この後下船し、イミグレではアゼルバイジャン人の職員に「ようこそ!」と言われ、同時にまた年齢を聞かれた。アゼルバイジャン人はアジア人の年齢が気になるのかな?パスポートを渡しているからここえでゃサバが読めないな、と思い32と言うと、めっちゃ驚かれる。つたない英語で、「もっと若いかと思いました」となぜか丁寧に言われる。

おーい、アゼルバイジャン人!32歳でも、私は若いつもりだから!

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