ラオス

May 09, 2007

壊れた仏像

51148284.JPGワット・シーサケット。
国立博物館。
昨日の腹痛のこともあるので、今日は無理せずこのふたつのみとした。
国立博物館はジャール平原の謎の壺も展示されており興味深かったが、途中からほとんど歴史についての写真ばかりになる。使われていた銃、女の人たちの戦う姿。博物館でこれほど多くの戦争品を見たのは久しぶりだ。
ワット・シーサケットでは、並ぶ仏像の合間に、壊れた仏像を山積みにしているところがある。
今までの旅の中でも、このように壊れた仏像たちを多く見てきた。その姿を見ては、そのとき人間が同じ姿になったことを想像していた。

ワット・シーサケットは1824年に建ったということでまだ比較的新しいお寺だが、戦争で被害を受けたためかもっと古く感じた。お寺を取り囲む回廊には仏像が並んでおり、その後ろにも小さな仏像がたくさん並んでいる。ゆっくり歩いて見て回ったが、そのお顔や素材はみな異なり、飽きない。受付の人に鉛筆を借りて、一体描いた。
そして、ここでもまた地元人に間違えられた。日本語ツアーのガイドさんが、「こうして絵を描く人もいますね」と私を紹介したのだ!ここで日本人と名乗っては申し訳ないので、仕方なく無言で恥ずかしがっている真似をしたけど…。昨日作ったスカートを履いていたせいもあるのだろう…。あるはず!!
昨日の腹痛は朝になって治まっていたが、胃腸が弱っているのは確か。…それでもビエンチャン最後の今日は、どうしてもカオニャオが食べたい。あの変なお兄さんがいるメコン川沿いの店に、やっぱり行こう。夕日が落ちるメコン川は、何にも変えられない情景だ。

saraswatiganesh at 19:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

ビエンチャン!

86af8cbc.JPG5月、7日。
SAVANNAKHET(サワンナケート)からラオスの首都、VIENTIAN(ビエンチャン)へ。9時間のバス移動はさすがに辛かったが(トイレに行かずに済んでやれやれ。長距離バス移動時のトイレは女性も皆ドライバーに大声で伝えて、草むらに行くのです。)、着いたときの感動は想像以上だった。
何せラオス第二の都市であるサワンナケートがゴーストタウンのような雰囲気だったため、首都とはいえラオスはラオス、田舎で人も少ないのではと想像していたのだ。
ところがどっこい、人は多いし車、バス、ソンテウ、バイクなどがひしめき走り、道路は大きく活気に溢れていた。…私がこんなに都会好きだったとは…。
ソンテウにぼられることもなく(というか今までのラオスで一番安かった)、前に座ってた男の人(地元人)と表情で話し、揺られながら見た、パトゥーサイ。…写真で見たことある。これがラオスのシンボルか、感動、。
適当に決めた宿は今までで一番居心地のいい部屋だった。大きなメコン川を眺めながらの食事。ラオスの主食、カオニャオは本当に懐かしい味がする。こげた炭の混じり具合がなんともいえない。自称学生と名乗る日本びいきの男の子と話しながら落ちていく夕日。(写真は宿の屋上から)。「あなたは旅人ですか?」しか話せないこの男の子と片言の英語で話しながら、ラオス、初めての都会。
とにかくご飯、おいしかったーー!
   

saraswatiganesh at 18:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 06, 2007

ラオスの子ども

82f9527a.JPGPAKCE(パクセ)からSAVANNAKHET(サワンナケート)へ。
電車がなくバスでの移動となる。4時間半という長時間のためトラック改造バスではない。
昨日と同じく朝には雨が降る。宿を出た時間にもまだ小雨が降り続いていた。走り去るトゥクトゥクを捕まえバス停に行ったが、乗る前に値段交渉するのを怠ったためか、4万kipという法外な金額を言われた。しかしチャーターしたことになるのかと思い、まだよくわからない物価の感覚に、払ってしまった。
バス停には幾つかの店があり、腸詰めのソーセージとカオニャイ(もち米ご飯)を買っていると、さっきのトゥクトゥクのお兄さんに、笑って「おごってくれ」と言われた。「ええーっ!私がおごるの?」と日本語で言うと大きく頷いている。店のお姉さんは笑っている。もうなんだか訳が分からないけど、仕方ないなあと言っておごってしまった。
中で食べていて、ラオス語の指差し会話帳を使って話していると、女の子が何人か寄ってきた。結婚してるの?仕事は何?など話して、発音を教えてもらう。みんなかわいい!
写真を記念に一枚撮ってもらった。

ラオスの子どもはとにかく汚い。赤い茶色の土の上を走り回る子どもたち。雨の後のどろどろの畑の中で男の子がはしゃいでいる。暗くなってもゲーム屋から出ようとせず何人も同じ台を囲んでいる。足には何もつけていない子ばかりだ。そして、私が「サバイディ(こんちは)!」と言うとみんな返してくれる。
汚い子どもは好きである。それをしみじみと感じる。
持ってきた電子手帳で調べてみると、ラオスの乳児死亡率が88%となっていた。それは何かの間違いだろう、いつのデータだ。だってこんなに子どもばっかりじゃないか。

saraswatiganesh at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

市場

e0b8f4e0.JPG5月、5日。
ここからバスなどを乗り継いで行けるという、ワット・ポーという遺跡に行くのを止めて街歩きをすることにした。「地球の歩き方」の地図は小さく、歩いて回れる広さの街。初めて見るメコン川の緩やかな流れを横目に、40分歩くと市場に出た。
地図の大きな範囲を埋めていた市場。本にもあったように活気に溢れていた。とりあえずぶらぶら歩くことにする。入るなり足元がどろどろでズボンをめくる。靴下などはいているのは私だけである。
ここラオスではタイにいたときよりも、私は地元民に見えないらしい。振り向く人は首をかしげる人が多いので、多分、「ラオ人?タイ人?外国人?」てな感じに思っているのではないだろうか。
市場をくるくる歩いていると、どうも中心部はショッピングモールだということに気がついた。入ってみるとショーケースに金のネックレスが並んでいたり、織物や日用雑貨も積まれていた。
しかし…。
ショッピングモールが市場に取り込まれている。
そんな感じだ。
市場の汚さがモールの中に繋がっていた。そういえばタイでも、コンビニの前にはよく屋台があった。
市場や屋台には人の活気が溢れている。その活気に、おしゃまで整っているショッピングモールやコンビニは取り込まれていくのだろう。

他にすることもなくぶらぶら歩くが、暑さもあって限界がある。安宿に帰っても電気は暗く窓はない。自分の居場所に戸惑いながら、旅を初めて一ヶ月目。少しホームシックのような感覚になってしまった。

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May 04, 2007

陸路国境越え!

ecc2e1cc.JPG5月、4日。
タイから、LAOS(ラオス)、PAKCE(パクセ)へ。
明日がタイの、国王就任記念日で祝日ということもあり、今日ラオスに入ることにした。祝日の日の国境越えは手数料が取られるのである。
初めての陸路での国境越え。インターネットで調べていた中では、賄賂を欲求されたり、バスの上に置いた荷物をどこかに持っていかれそうになったりなどという物騒な話もあったが、なんのその、とても親切な人たちばかりで賄賂もなかった。というか、あれならパスポートを見せなくても通過できる。(出入国カードがもらえないと出国できなくなってしまうから、見せないといけないのだが。)
両替したらお札が何十枚にもなってびっくりだ。入れるところがなくてバッグに詰め込む。

電車のないこの国では、バスやトラック改造バスでの長距離移動が主である。ぶっ飛ばすこの乗り物は、乗っていて顔の皮膚が揺らめいているのではないかと感じるほど。しかしそれが心地よくなってきて眠くなる…。主道路と思われる道をひた走り、横切る牛にクラクションを鳴らしながら、ウボンから乗り継いで5時間半後にパクセに着いた。欧米人たちがイタリアンカフェに集まっており、インターネット店はちょっと歩いただけで数件あった。
ここに、二泊するつもりである。ラオスとは、どんなとこなのだろう。

saraswatiganesh at 20:21|PermalinkComments(2)TrackBack(0)