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January 08, 2016

ナイジェリア旅情報

ここいらでちょっと、ナイジェリアを旅するにあたって少しだけでも役に立つかもしれないことも記そうと思う。それは、私がナイジェリアに来るにあたり、そうした情報がほぼ無かったからだ。

以下、2015年12月23日から翌年1月に旅した内容である。

・ガイドブック
ロンリープラネット西アフリカ版。ただし、2006年以前のものが詳しい。内容は古いが、地図がある。最近のものはほとんど、ラゴスとアブジャ以外は地図がない。私は一応、古いものと新しいもの両方持ってきていた。

・移動手段
長距離移動
基本的にMotor park(地元ではモトパークとみんな読んでいる)がどの街にもあり、そこから各地へのシェアタクシーが出る。距離によって値段が違い、車への詰め込み具合では値段は変わらない。そこは、運だ。安くて500円、高くて3000円といった感じ。
このシェアタクシーは時速120キロほど出して走る。クラッシュしている姿は何度も目にする上に、何度か乗っていると途中で故障することもよくある。よくあることなのでみんな動じず、ドライバーがOKというのをじっと待つが、本当に直っているのか定かではない。
短距離移動
どの街にも、短距離移動には困らない。街によって走っているものは違うが、旅行者に分かりにくい市内小型バスは、行き先を叫んで客寄せをしているので、同じ街に滞在していると分かるようになってくる。どこにでも行ってくれるのは、インドのリキシャが安い。3キロくらいで50円から100円。また、バイクを持っている若者は大抵小銭稼ぎのために、バイタクをしている。その辺に止まっているバイク持ちの若者に声をかけると後ろに乗せてくれる。
長距離移動を終えたあと、到着する街のモトパークから市内へは、大抵ボラれる。ので、安くあげたい場合には、モトパークから歩いて道路を走っているリキシャを捕まえるのがいいだろう。それでも、大荷物を持っていたらボラれるかもしれないが、ボラれる確率はインドより結構低い。

・宿事情
これがかなりの難関だ。ナイジェリアは宿が高い。私は女なこともあり、あまり安いところへは泊まらなかった。この22日間で、安くて2500円、高くて6000円。都市部になるほど宿は高い。200$と大きく看板に書いているホテルもよく見かけた。
なので、宿はある程度調べていきたいところだが、2006年版のロンプラにある宿はほとんどが値段が上がっている上に古くなっており、同じ値段で他にもっといい宿がある。年末年始ではあったが、元旦に移動した日以外はすんなり宿にありつけた。モトパークに到着したあと、いくらくらいのホテルに行きたい、知ってるか?と、その辺の人やリキシャの人に聞くと教えてくれる。あと、カウチサーフィンという手もある。また、私の友人(男性)は、バーやシェアタクシーの中で出会った人に泊めてくれ、と言って多くの友人を作っていた。もちろん、女の人はこれをしてはいけない。ナイジェリア人から見たら、日本人はとても可愛く見えるようだ。

・食事
ナイジェリアはかなり辛いと聞いていたが、その通り、かなり辛い。
朝は路上の揚げ物屋が一番安いだろう。ヤムイモやパンのようなものを揚げたものが並んでいて、どれでも1つ5円。そこに少し辛めのソースをつけてくれる。
昼は、みんな2時頃に食べる。小さな小屋のような食堂が安い。エヴァというねちょっとしたものや、白くて味のしない丸くボイルされたものに、魚やチキンなどの肉が入った赤いソースを付けて食べる。だいたい、130円から200円くらい。レストランもある。レストランは大抵注文しやすく、辛くない料理もあるがもちろん高い。値段は外装でだいたい想像できる。200円から1000円くらいで、チキンや魚のついたライスのメニューが食べられる。量も多い。レストランは大抵何時でも食べられる。

・物価
水はボトルウォーター(なぜかほとんどが750ml)で25円から50円、オレンジジュース1リットルで100円。冷たくても冷たくなくても値段は同じ。ボトルウォーターの値段が違うのは、どうやらメーカーの違いのようだ。
バナナ一房の半分で50円から100円。アフリカのあの派手な布は6フィートで850円が最安値っぽい。5年前、10メートルで1000円くらいだったからそんなもんか。この値段はニジェールとのボーダーで買った時の値段で、ナイジェリア内部のどの都市でも、聞くとこの値段の倍以上を言われた。

・言葉
英語がほぼ通じるが、インドとはまた違った、不思議な発音をする人が多い。時々分からない単語が出てくるが、何度も聞くととても簡単な単語だったりする。
南西部はヨルバ語、南東部はイボ語、北部はハウサ語、と、この3種類を少し覚えながら旅すると、人々ととても仲良くなれる。知らなくても、ほとんどの人が親愛なる優しさを込めてニーハオと挨拶してくる。
また、どうやら大人の人で文字を書けない人が結構いるようだ。シェアタクシーに乗るとき、名前や住所を書かされるのだが(事故率が高いから?と不安になる…)、そのとき、代わりに書いてと言われることがあった。

・お金
全てお札でコインはない。小銭を持っていないとお釣りのないことが多すぎる。基本的にみんな持ってるんだけど出さないようにしているので、私も同じようにしていた。本当に相手が持ってないと思うまでとぼけ、本当に持っていないときは、あ!あった、というようにとぼけて出した。そうして何とか小銭を集められた。基本的に1000ナイラ札しか持っていない状態では、損しまくる。

・レート
空港では、1$が250ナイラだった。あとで友人に聞くと、ラゴスでは、街中でもっといいレートで換えられるようだが、どこでかは知らない。そのあともオショグボで、仲良くなった人に頼んで両替したが、銀行ではなく闇両替で、同じレートだった。闇両替のときは、全部500ナイラ札にしてくれたが、空港では1000ナイラ札以外は取り合ってもらえなかった。また、どちらもレシートをもらえなかった…。

・必需品
行く時期によると思うが、年末年始は朝晩が寒かった。上着を空港に忘れてしまったため、私は風邪を引きそうになった。上着は必需品。また、年末年始の場合、ドライシーズンだからか昼間も陽が射さず、強風のことがよくあった。そんなときは砂嵐が絶えず目に見える。コンタクトの人はコンタクトの予備、そして眼鏡は必要。
私は半袖を何枚も持ってきていたが、あんまり着なかった。長袖の方が役に立った。
マラリアはあまり無いようだけど、蚊よけスプレーは必要。オショグボの森は、蚊だらけ。
蚊帳も日本から持参していたが、いい宿に泊まっていたこともあり使うことはなかった。蚊取り線香は何度か使った。

・ネット事情
驚くほどに悪かった。サイバーカフェはあるけど、ワイハイがない。ワイハイが繋がったのは、5000円以上の宿に泊まっていたときだけだった。その他は、Windowsxpなどのパソコンを1時間60円から100円くらいで使わせてもらえるけど、メールは開かず、フェイスブックしか開けられなかった。また、年末年始や日曜はサイバーカフェは閉まる。
ナイジェリアに行ったことのある友人は、ワイハイがないことなど、そんなことは無いはずだ、と言っていたので、私が運が悪かったのかもしれない。

・治安
北東部のボコ・ハラムの誘拐、殺戮報道が多いことから、旅行者はほとんどいない。というか、22日間の旅の中で1人もバックパッカーに会わなかった。北部も危ないということで外務省のホームページでは渡航延期勧告(オレンジ色)になっているが、ナイジェリアの誰からも、「ボコ・ハラムが危ないから北部へは行くな」とは言われなかった。それより、「なぜ行くんだ、せっかく友達になったのに」と言われて引き止められることばかりだった(笑)後から知ったが、この年末年始にもボコ・ハラムの活動が激化し、100人ほどが死んでいるとネットニュースで見たが、現地ではそんなニュース見てなかったし、それよりも車のクラッシュで何人死んだ、というニュースが紙面のトップだった。
また、警察の腐敗で有名なナイジェリアだが、それを感じたのは北部のカノからさらに北部のザリアまでの移動中に、何度も車を停められてパスポートチェックされたときだけだった。全ての人がビザの見方も知らず、ずっと眺めたあと難癖付けてくるのだが、1つ1つきちんと説明すると、お金も取られずOK、私は日本に行ってみたい、バイバイと言われた。腐敗、とまではいかない出来事だったけど、これ以外に警察の人たちと話すことはなかった。街中で手を振られることや、朝ごはん屋で水をおごられたり、と、基本は優しかったが、大きな銃を持っているので安心はできなかった。

・女1人で旅行できる国かどうか
可能。ただし、上記のことができる人でないと厳しい。インドを1人で旅行することが苦で無いなら可能だと思う。ほとんどの人はとても親切だし、インドよりもお金に対しての下心が無いような印象だった。が、もちろん必要以上に欲求されることもしばしばあるけど。
お金は基本的に、リュックと手提げの2つに分け、どちらかをとられても何とかなるような状態に荷物を分けておくこと。長距離移動の日は朝早くに宿を出ること。男の人から誘われてもついていかないこと。夜は出歩かないこと。

と、こんな感じかな。
基本的に人はとても親切だし、私はヨルバ族とハウサ族のエリアしか行かなかったけれど、どちらも言葉を教えてもらえる友人はすぐにできた。リキシャに乗り合わせた人とか、宿にいた人とか。What'sAppというアプリを使っている人が多く、その番号を交換すると、旅中、そのアプリでも言葉を教えてくれた。歩いていると遠くからも手を振ってくれるし、誰とも話さない日なんて1日もなかった。
宗教色や民族色が薄らいでいっているようには思う。ナイジェリアより西の、ベナン、トーゴ、ブルキナファソ、マリあたりはもう少し民族色も強かった。だけど、ナイジェリアの人たちは、生きることが闘いだとでもいうような、何というか、生きる危機感みたいなものがある。それが強くも逞しくも見えた。また、きっと私の見えないところで、民族の宗教色はあるように思う。

saraswatiganesh at 02:40│Comments(0)TrackBack(0)ナイジェリア 

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