February 07, 2011
道路上の残骸
様々なものが、道路のいたるところにある。そのどれもが、そこにあることを信じがたく思わせるようなものが多い。
道路が封鎖されている箇所にはとにかく薄黄色の戦車がある。迷彩服を着たアーミーが、そこにライフルを携えてうろうろしている。
人々が集まっているタフリール広場を抜け、裏通りを歩くと、小さなトラックに大きなダンボールを詰め込んでいる人たち。売り物である家電製品を、他の場所へと移動させているようだ。
瓦礫やごみは、一応集められている、人々は朝からほうきを持って、掃除をしているが、それが追いつかなくなるのも時間の問題だろう。ある道路には、焼け焦げた車が幾つも並んでいた。付近で燃えた車の残骸は、ここに集められているのだろうか。
朝の光とともに見ると、そこに恐ろしさは感じない。もう、終了してしまった残骸の姿だからかもしれない。
道路が封鎖されている箇所にはとにかく薄黄色の戦車がある。迷彩服を着たアーミーが、そこにライフルを携えてうろうろしている。
人々が集まっているタフリール広場を抜け、裏通りを歩くと、小さなトラックに大きなダンボールを詰め込んでいる人たち。売り物である家電製品を、他の場所へと移動させているようだ。
瓦礫やごみは、一応集められている、人々は朝からほうきを持って、掃除をしているが、それが追いつかなくなるのも時間の問題だろう。ある道路には、焼け焦げた車が幾つも並んでいた。付近で燃えた車の残骸は、ここに集められているのだろうか。
朝の光とともに見ると、そこに恐ろしさは感じない。もう、終了してしまった残骸の姿だからかもしれない。
黒い煙
1月、29日。
ただ宿の敷地内のベンチに腰掛けて、本を読んでいるだけで心地いい。これは山に囲まれたこういう場所を、私が心から好きな証拠なのだろうと思う。寒さもさほど気にならなくなるのは、日中の強い日差しのおかげだ。
山に登った日を除いて3日もここセントカテリーナで過ごし、そろそろカイロに戻ろうと朝6時のバスに乗った。暗闇の中一人で外を歩いていると、西アフリカの移動の日を思い出す。
カイロの道路上で降ろされ、人に聞きながら地下鉄の入り口を探した。そこから、聞き覚えのある駅を目指す。
カイロに到着したときに宿泊していた宿は、サダットSadat駅のすぐそばにある。サダット駅で降りようと注意して駅名をチェックしていたにもかかわらず、なぜかその次の駅に着いてしまった。おかしいなと思いもう一度乗ってみると、どうやらサダット駅は走り抜けられているようだった。工事かなと考え、仕方なく一駅先のナーセル駅で電車を降り、階段を上がった。
地上に出ると、なにやら騒がしかった。なんだなんだと思って人々が見ている先を見てみると、大きなビルから濛々と黒い煙が立ち昇っている。その煙の量から察するに、かなりの火の大きさが予想された。
ただの火事ではないかもしれない。周囲の人々に聞いても英語があまり通じなくその原因が分からなかったが、私の目指す宿の場所を言うと、問題ない、この道から行けると言われたので進んでみることにした。パトカーの音と、混乱している交通。携帯電話で撮影している人の塊を抜け、早足で宿を目指す。
歩いてる最中、他の人に再度尋ねるもみんなノープロブレムというのでただの火事かと安心したのも束の間、私の目指すタフリール広場に近づくにつれ、これがただの火事でないことが分かった。
大勢の人たちが、集まって、何やら叫びながら歩いている。デモか?
人ごみを掻き分けやっとタフリール広場に着くと、宿横のファーストフード店からも出火していた。大丈夫かなーと思いながらエレベーター前に行く。エレベーター案内のおじいちゃんのマロウがいた。彼と軽く握手し、彼の促すままエレベーターに乗る。
ツーリストはたくさんいた。私を覚えていてくれた韓国人もいる。彼に今のこの状況を聞くと、なんと25日から民衆によるデモが始まっているという。テレビ朝日の日本人ジャーナリストも昨日この宿に来たらしく、宿泊している日本人にインタビューしたそうだ。インターネットは昨日から封鎖され、空港はパニック状態でフライトも数多くキャンセルとなっているらしい。
あんなテレビもインターネットもほとんど使えなかった山間の小さな町で、あんなにゆったりと時間を過ごしていたのに、カイロのこの状況とそれとの違いはなんと大きなことか。とりあえずここに今日は宿泊し、ツーリストたちと話して様子を見ようと思う。
ただ宿の敷地内のベンチに腰掛けて、本を読んでいるだけで心地いい。これは山に囲まれたこういう場所を、私が心から好きな証拠なのだろうと思う。寒さもさほど気にならなくなるのは、日中の強い日差しのおかげだ。
山に登った日を除いて3日もここセントカテリーナで過ごし、そろそろカイロに戻ろうと朝6時のバスに乗った。暗闇の中一人で外を歩いていると、西アフリカの移動の日を思い出す。
カイロの道路上で降ろされ、人に聞きながら地下鉄の入り口を探した。そこから、聞き覚えのある駅を目指す。
カイロに到着したときに宿泊していた宿は、サダットSadat駅のすぐそばにある。サダット駅で降りようと注意して駅名をチェックしていたにもかかわらず、なぜかその次の駅に着いてしまった。おかしいなと思いもう一度乗ってみると、どうやらサダット駅は走り抜けられているようだった。工事かなと考え、仕方なく一駅先のナーセル駅で電車を降り、階段を上がった。
地上に出ると、なにやら騒がしかった。なんだなんだと思って人々が見ている先を見てみると、大きなビルから濛々と黒い煙が立ち昇っている。その煙の量から察するに、かなりの火の大きさが予想された。
ただの火事ではないかもしれない。周囲の人々に聞いても英語があまり通じなくその原因が分からなかったが、私の目指す宿の場所を言うと、問題ない、この道から行けると言われたので進んでみることにした。パトカーの音と、混乱している交通。携帯電話で撮影している人の塊を抜け、早足で宿を目指す。
歩いてる最中、他の人に再度尋ねるもみんなノープロブレムというのでただの火事かと安心したのも束の間、私の目指すタフリール広場に近づくにつれ、これがただの火事でないことが分かった。
大勢の人たちが、集まって、何やら叫びながら歩いている。デモか?
人ごみを掻き分けやっとタフリール広場に着くと、宿横のファーストフード店からも出火していた。大丈夫かなーと思いながらエレベーター前に行く。エレベーター案内のおじいちゃんのマロウがいた。彼と軽く握手し、彼の促すままエレベーターに乗る。
ツーリストはたくさんいた。私を覚えていてくれた韓国人もいる。彼に今のこの状況を聞くと、なんと25日から民衆によるデモが始まっているという。テレビ朝日の日本人ジャーナリストも昨日この宿に来たらしく、宿泊している日本人にインタビューしたそうだ。インターネットは昨日から封鎖され、空港はパニック状態でフライトも数多くキャンセルとなっているらしい。
あんなテレビもインターネットもほとんど使えなかった山間の小さな町で、あんなにゆったりと時間を過ごしていたのに、カイロのこの状況とそれとの違いはなんと大きなことか。とりあえずここに今日は宿泊し、ツーリストたちと話して様子を見ようと思う。
シナイ山を登る
シナイ山の頂上で見る朝日は、どんなものだろうと思っていた。
たった2時間の登山時間だとしても、そこは山の上であり、私はきっとその場所を心地よく思うだろうと予想していた。
モーセが十戒を受けたとされているこの山は、頂上まで石段が整備されている。整備といってもがたがたぼこぼこしてはいるが、スニーカーでも十分登れる。頂上で朝日を拝むために、朝の2時ごろから多くのツーリストが頂上を目指す。
こんな朝早くかららくだ引きが、どこまで登っても見られた。私はツアーではないので、ツーリストオフィスでガイドを雇えと言われたが、それを断るには賄賂が必要らしい。エジプト人たちはひっきりなしに、個人で登ろうとしている人たちを、登山口で探していた。私はたまたま韓国人の団体ツアーがいたので紛れ込み、それでも見つかりはしたが、そのツアーのガイドさんが庇ってくれて、助かった。
最初はそのツアーと一緒に行動していたが、暗闇だし大丈夫だろうと途中から別れた。一人で登っていると、寒くて済んだ空気に自分のはく息がさらに温かく感じる。
宿の人には2時から登れとアドバイスされたが、頂上には4時半ころに着いてしまった。頂上で毛布レンタルをしているエジプト人が話しかけてくる。朝日の次官を聞いたら、なんと6時半と言う!あと二時間も、こんな寒い中で待たなければならないのか?どうやら早く登りすぎたらしい。
時間もあり寒いので、彼と話しては笑って体を温めていると、彼がかなりの安い金額で毛布を提供してくれた。それにくるまり、寒さに震えながら朝日の昇る方向を見つめていると、私と同じように早く登りすぎた人が近くに来る。登り途中で見かけた人だった。担いでいるギターに見覚えがあり、話し言葉が日本語だったこともあって話しかけてみた。
彼と一緒に登ってきた男性二人も加わり、三線やギターで歌を歌う。笑いながら時を過ごす。なかなか登ってこない朝日。
雲の合間からほんの少し顔を出した朝日は、私たちを含めた、シナイ山頂上に集まってきた人々に感嘆の声を上げさせた。人々はそれぞれに時刻の歌を歌い、朝日に向かって祈る。
世界中のどこにいても、同じ宗教を信じている人はきっと、同じ場所にいるようなものなのだろう。そしてここに集まっている人たちの心は様々だけれど、同じものを見て心でをれを見るという点で、私たちは共通していたのだろうと思う。
ギターを弾いていたたかし君と話していると、なんと彼とは3年前、インドのコルカタ、パラゴンという宿で会っていたということが判明した。失礼ながら私は彼のことを覚えていなかったのだが、彼は私の名前を含め話した内容を細かく覚えていてくれていた。あれは、初めての長期一人旅の途中、緊張してインドに入った時だ。そのころの自分の心模様を今思い起こすことが、ここで必要だったのかも知れない。それが、彼との再会という形で起こったのかもしれないと思ったりもする。
たった2時間の登山時間だとしても、そこは山の上であり、私はきっとその場所を心地よく思うだろうと予想していた。
モーセが十戒を受けたとされているこの山は、頂上まで石段が整備されている。整備といってもがたがたぼこぼこしてはいるが、スニーカーでも十分登れる。頂上で朝日を拝むために、朝の2時ごろから多くのツーリストが頂上を目指す。
こんな朝早くかららくだ引きが、どこまで登っても見られた。私はツアーではないので、ツーリストオフィスでガイドを雇えと言われたが、それを断るには賄賂が必要らしい。エジプト人たちはひっきりなしに、個人で登ろうとしている人たちを、登山口で探していた。私はたまたま韓国人の団体ツアーがいたので紛れ込み、それでも見つかりはしたが、そのツアーのガイドさんが庇ってくれて、助かった。
最初はそのツアーと一緒に行動していたが、暗闇だし大丈夫だろうと途中から別れた。一人で登っていると、寒くて済んだ空気に自分のはく息がさらに温かく感じる。
宿の人には2時から登れとアドバイスされたが、頂上には4時半ころに着いてしまった。頂上で毛布レンタルをしているエジプト人が話しかけてくる。朝日の次官を聞いたら、なんと6時半と言う!あと二時間も、こんな寒い中で待たなければならないのか?どうやら早く登りすぎたらしい。
時間もあり寒いので、彼と話しては笑って体を温めていると、彼がかなりの安い金額で毛布を提供してくれた。それにくるまり、寒さに震えながら朝日の昇る方向を見つめていると、私と同じように早く登りすぎた人が近くに来る。登り途中で見かけた人だった。担いでいるギターに見覚えがあり、話し言葉が日本語だったこともあって話しかけてみた。
彼と一緒に登ってきた男性二人も加わり、三線やギターで歌を歌う。笑いながら時を過ごす。なかなか登ってこない朝日。
雲の合間からほんの少し顔を出した朝日は、私たちを含めた、シナイ山頂上に集まってきた人々に感嘆の声を上げさせた。人々はそれぞれに時刻の歌を歌い、朝日に向かって祈る。
世界中のどこにいても、同じ宗教を信じている人はきっと、同じ場所にいるようなものなのだろう。そしてここに集まっている人たちの心は様々だけれど、同じものを見て心でをれを見るという点で、私たちは共通していたのだろうと思う。
ギターを弾いていたたかし君と話していると、なんと彼とは3年前、インドのコルカタ、パラゴンという宿で会っていたということが判明した。失礼ながら私は彼のことを覚えていなかったのだが、彼は私の名前を含め話した内容を細かく覚えていてくれていた。あれは、初めての長期一人旅の途中、緊張してインドに入った時だ。そのころの自分の心模様を今思い起こすことが、ここで必要だったのかも知れない。それが、彼との再会という形で起こったのかもしれないと思ったりもする。
セントカテリーナへ
こんな写真を、以前にも撮ったことがある、あれは、インドの山奥だった。
アスワンAswanでまさき君と同じ宿に泊まりながらも、お互いの生活リズムに合わせて神殿を観光したので彼とは別々に観光をしていた。彼が朝早くエジプト最南端にある神殿へ出かけた日、予定外に夕方に出発しなければならなくなり電車のチケットを購入。次に彼に会うのはカイロだろうと思うも、お別れをいえなかったことが少々心残りだった。だから、アスワンの駅で電車を待っているとき、「たえさんー!」と言う声が聞こえたから驚いた。ツアーから帰ってきた彼が、宿の人に私の出発を聞いて駅まで急いで来てくれたのだ。
23日の夜、長い時間二人で話していた。私がまた話しすぎたかと思っていたものの、まさき君の話す話は面白かった。人と話すということは、その人の信じているものを感じるということ。ひとつの国に、接しているような感覚。
またも寝台列車でカイロへ向かい、着いてそのままバスターミナルを目指した。そこから、セントカテリーナSt.Katherineという町を目指した。
バスに乗りながら初めて気づいたが、到着時間になるころはもう外が暗かった。イランで見たような岩山が連なる、その中心にあるように感じるこの小さな町には、シナイ山がある。モーセが十戒を受けた場所だとされている。
連なる岩山は奇妙な形をしていて、地質的にも不思議さがあった。目で見ただけで分かる地層と、その地質の違い。雨もあまり降らないのか、その風景自体がすでに太古を思わせるように感じたのは、私だけなのだろうか。
ルクソールやアスワンの、ナイル川とともにある熱帯地域から、埃っぽいカイロを通って、今度は砂の舞う山間に来た。今まで旅をしていて何度も思うけれど、同じ国の中にも様々な風景が存在する。たった一日や二日で長距離を移動すると、ただ移動しながら窓からの風景を見ているだけで、何も飽きない。
翌日の朝、宿の小さな窓から撮った山は、朝の強い光と青空に包まれていた。
美しかった。そして、こんな山の地域が様々な場所を思い出させる。懐かしい。
アスワンAswanでまさき君と同じ宿に泊まりながらも、お互いの生活リズムに合わせて神殿を観光したので彼とは別々に観光をしていた。彼が朝早くエジプト最南端にある神殿へ出かけた日、予定外に夕方に出発しなければならなくなり電車のチケットを購入。次に彼に会うのはカイロだろうと思うも、お別れをいえなかったことが少々心残りだった。だから、アスワンの駅で電車を待っているとき、「たえさんー!」と言う声が聞こえたから驚いた。ツアーから帰ってきた彼が、宿の人に私の出発を聞いて駅まで急いで来てくれたのだ。
23日の夜、長い時間二人で話していた。私がまた話しすぎたかと思っていたものの、まさき君の話す話は面白かった。人と話すということは、その人の信じているものを感じるということ。ひとつの国に、接しているような感覚。
またも寝台列車でカイロへ向かい、着いてそのままバスターミナルを目指した。そこから、セントカテリーナSt.Katherineという町を目指した。
バスに乗りながら初めて気づいたが、到着時間になるころはもう外が暗かった。イランで見たような岩山が連なる、その中心にあるように感じるこの小さな町には、シナイ山がある。モーセが十戒を受けた場所だとされている。
連なる岩山は奇妙な形をしていて、地質的にも不思議さがあった。目で見ただけで分かる地層と、その地質の違い。雨もあまり降らないのか、その風景自体がすでに太古を思わせるように感じたのは、私だけなのだろうか。
ルクソールやアスワンの、ナイル川とともにある熱帯地域から、埃っぽいカイロを通って、今度は砂の舞う山間に来た。今まで旅をしていて何度も思うけれど、同じ国の中にも様々な風景が存在する。たった一日や二日で長距離を移動すると、ただ移動しながら窓からの風景を見ているだけで、何も飽きない。
翌日の朝、宿の小さな窓から撮った山は、朝の強い光と青空に包まれていた。
美しかった。そして、こんな山の地域が様々な場所を思い出させる。懐かしい。
February 06, 2011
渡っていく物たち
1月、22日。遺跡を巡るため、また電車に乗った。今回は距離が遠くないので、寝台ではなく席を買うから安い。
車両に入ると、後ろから声をかけられた。というかつぶやかれた。日本人ですかという声の主を見ると、久しぶりの日本人。席は少し離れていたけれど、私の横が空いていたので話しませんかと誘ってみた。
彼はまさきくんといい、顔立ちの整った青年。話を聞くと、これからアフリカを南下し、西アフリカにも行くという。話が弾む中、そうだと思い立った。
トルコで、これから私がアフリカに行くというとき、大きな書店を巡ってアフリカのガイドブックを探してやっと、見つけた、この分厚いアフリカ全土版のロンリープラネット。最新版ということもあり、このまま日本に持ち帰るのは少々気がとがめていたところだ。彼に話すと、欲しいと言う。
旅をしているとこうして、人から人へ渡っていく物がある。私もこの旅の中で、リュック全体を包める鍵を貰った。高価なものでも、この先役に立ってくれるならと、旅行に出てしまってからじゃ手に入りにくいものたちはこうして、旅人から旅人へ、渡っていく。
自分の手を離れていくことが、どこか嬉しかった。
このガイドブックが、彼からまたほかの人へ渡っていくかもしれない。
私はこの数日間の後カイロへ戻る。そのときまでこのガイドブックは必要なので、彼も同じ時期にカイロに戻る予定だということで、私たちはカイロで会う約束をした。
車両に入ると、後ろから声をかけられた。というかつぶやかれた。日本人ですかという声の主を見ると、久しぶりの日本人。席は少し離れていたけれど、私の横が空いていたので話しませんかと誘ってみた。
彼はまさきくんといい、顔立ちの整った青年。話を聞くと、これからアフリカを南下し、西アフリカにも行くという。話が弾む中、そうだと思い立った。
トルコで、これから私がアフリカに行くというとき、大きな書店を巡ってアフリカのガイドブックを探してやっと、見つけた、この分厚いアフリカ全土版のロンリープラネット。最新版ということもあり、このまま日本に持ち帰るのは少々気がとがめていたところだ。彼に話すと、欲しいと言う。
旅をしているとこうして、人から人へ渡っていく物がある。私もこの旅の中で、リュック全体を包める鍵を貰った。高価なものでも、この先役に立ってくれるならと、旅行に出てしまってからじゃ手に入りにくいものたちはこうして、旅人から旅人へ、渡っていく。
自分の手を離れていくことが、どこか嬉しかった。
このガイドブックが、彼からまたほかの人へ渡っていくかもしれない。
私はこの数日間の後カイロへ戻る。そのときまでこのガイドブックは必要なので、彼も同じ時期にカイロに戻る予定だということで、私たちはカイロで会う約束をした。
コシャリ
エジプト人の、庶民の味。
それが、これ。コシャリという。
白米になぜかパスタが混じり、麺のようなものも。ひよこ豆を筆頭に数種類のゆでられた豆、そして細かく揚げたたまねぎ。そこにトマトベースのソースをかけ、混ぜて、いただく。
コシャリの存在は知っていたものの、なぜか今まで出会えなかった。それはここエジプトがモロッコと同じ、アラビア人たちの世界だからだと思う。カフェはいつも男ばかりで、女の入る雰囲気が一切ない。このコシャリ屋も、庶民の味と言うこともあって、なんとなく入りづらく、見つけられなかったのかもしれない。
ここルクソールは、この小さな町自体が観光化しているせいか、コシャリ屋も落ち着いてて入りやすいところがあった。早速入って、頼んでみる。
これが、おいしい!
最近パンばかりだったから、この味にはまりそうだ。
しかし考えてみると、いろいろ混ぜられてはいるものの、そのほとんどが炭水化物の料理だなぁ。
それが、これ。コシャリという。
白米になぜかパスタが混じり、麺のようなものも。ひよこ豆を筆頭に数種類のゆでられた豆、そして細かく揚げたたまねぎ。そこにトマトベースのソースをかけ、混ぜて、いただく。
コシャリの存在は知っていたものの、なぜか今まで出会えなかった。それはここエジプトがモロッコと同じ、アラビア人たちの世界だからだと思う。カフェはいつも男ばかりで、女の入る雰囲気が一切ない。このコシャリ屋も、庶民の味と言うこともあって、なんとなく入りづらく、見つけられなかったのかもしれない。
ここルクソールは、この小さな町自体が観光化しているせいか、コシャリ屋も落ち着いてて入りやすいところがあった。早速入って、頼んでみる。
これが、おいしい!
最近パンばかりだったから、この味にはまりそうだ。
しかし考えてみると、いろいろ混ぜられてはいるものの、そのほとんどが炭水化物の料理だなぁ。
エジプシャンに辟易
エジプトに来てから、エジプシャンたちの、観光客をからかう態度に辟易している。
これはどこの国でもあること、そしてこんな人たちばかりじゃないってことも分かってはいるけれど、それでも、いやな気持ちになることを私はまだ避けられない。
今泊まっている宿のマネージャーのおじさんも女好きって感じで、彼もほかのエジプシャンと同じで、日本人が一番好きだ、どうして結婚してないんだそんなにきれいなのに、とか言ってくるが、彼はまぁまぁはいはいって感じ。
彼のようなおじさんはまったくいやな感じがしないし、どちらかというと話をしながら楽しめるのだが、私が本当にいやな気分になるのは以下の二つ。
とにかくお金のことしか考えていない人たち。日本語や英語で私に覆い被せてくるように、お世辞を言ってくる。それだけならまだいいのだが、今はいらないよと断ると、急に態度を変える人。
もうひとつは、バイクなどに乗ったまま、アイラブユーとかラブリーとか行ってくる人。これは、一番我慢ならない。バイクに乗っているという、自分の安全さを十分理解したうえでの行動。
なんて度胸がないんだって思う。なんてかっこ悪いんだって思う。そのかっこ悪さに気づいていないこの若者たちは、今まで歩いてきた国の、悲しいながらもイスラム社会でよく目にしてきた。
話しかけるなとは言わないよ、でも、言葉を人に向けるときは、心を込めてほしいと思う。どんな、言葉であっても。
これはどこの国でもあること、そしてこんな人たちばかりじゃないってことも分かってはいるけれど、それでも、いやな気持ちになることを私はまだ避けられない。
今泊まっている宿のマネージャーのおじさんも女好きって感じで、彼もほかのエジプシャンと同じで、日本人が一番好きだ、どうして結婚してないんだそんなにきれいなのに、とか言ってくるが、彼はまぁまぁはいはいって感じ。
彼のようなおじさんはまったくいやな感じがしないし、どちらかというと話をしながら楽しめるのだが、私が本当にいやな気分になるのは以下の二つ。
とにかくお金のことしか考えていない人たち。日本語や英語で私に覆い被せてくるように、お世辞を言ってくる。それだけならまだいいのだが、今はいらないよと断ると、急に態度を変える人。
もうひとつは、バイクなどに乗ったまま、アイラブユーとかラブリーとか行ってくる人。これは、一番我慢ならない。バイクに乗っているという、自分の安全さを十分理解したうえでの行動。
なんて度胸がないんだって思う。なんてかっこ悪いんだって思う。そのかっこ悪さに気づいていないこの若者たちは、今まで歩いてきた国の、悲しいながらもイスラム社会でよく目にしてきた。
話しかけるなとは言わないよ、でも、言葉を人に向けるときは、心を込めてほしいと思う。どんな、言葉であっても。
カルナック
1月、19日。
イリナよりも先に私が電車を下りた、ルクソールLuxorだ。
ここには、Tくんからお勧めと聞いていた神殿がある。宿にチェックインして早速、そこに向かった。
市内をスピード出して走っている多くのハイエースは0.5エジプシャンポンドで乗れると知ってはいたのに、運転手が観光客相手だからといって態度を変える人ではなかったので、その素っ気無さについ言い値を払ってしまった。私は素っ気無い人に弱いのかもしれない。
カルナック神殿は、入り口に入るときからその大きさを想像できた。中に進むにつれ、神殿のつくりが見えてくる。
Tくんがお勧めと言ったのは、列柱室というところだった。室といってもその天井はすでにないが、驚くことに色彩は多少残っている。これが当時の顔料なのか、それともその後に塗られたものなのかは私には分からない。
空に伸びているオベリスク。そしてこの列柱室のいくつもの太い柱は、自分の大きさを多少理解不能にしていく。柱や壁すべてにレリーフが施されており、その場にいるとまさしく自分の知らない、太古の文明の中にいるようだった。こう思ったことは過去何度もあるけれど、テレビの中の世界。ここは、不思議の海のナディアや天空の城ラピュタの世界。ちなみにモーリタニアにいるときは、ドラゴンボールのナメック星だと感じていた。ここまできて、私の思うことは陳腐だ…。
今でこそこういう状態であるものの、過去、今生きている私たちではまったく考えもつかないような意味と、現実がそこにあったかもしれないのだ。
驚くほどの観光客の数なのに、それが気にならないほど、ここの空気は不思議だった。門が閉まるまでの3時間半、私はこの写真の女の子のように、人が少ない場所を見つけて佇んでいた。
イリナよりも先に私が電車を下りた、ルクソールLuxorだ。
ここには、Tくんからお勧めと聞いていた神殿がある。宿にチェックインして早速、そこに向かった。
市内をスピード出して走っている多くのハイエースは0.5エジプシャンポンドで乗れると知ってはいたのに、運転手が観光客相手だからといって態度を変える人ではなかったので、その素っ気無さについ言い値を払ってしまった。私は素っ気無い人に弱いのかもしれない。
カルナック神殿は、入り口に入るときからその大きさを想像できた。中に進むにつれ、神殿のつくりが見えてくる。
Tくんがお勧めと言ったのは、列柱室というところだった。室といってもその天井はすでにないが、驚くことに色彩は多少残っている。これが当時の顔料なのか、それともその後に塗られたものなのかは私には分からない。
空に伸びているオベリスク。そしてこの列柱室のいくつもの太い柱は、自分の大きさを多少理解不能にしていく。柱や壁すべてにレリーフが施されており、その場にいるとまさしく自分の知らない、太古の文明の中にいるようだった。こう思ったことは過去何度もあるけれど、テレビの中の世界。ここは、不思議の海のナディアや天空の城ラピュタの世界。ちなみにモーリタニアにいるときは、ドラゴンボールのナメック星だと感じていた。ここまできて、私の思うことは陳腐だ…。
今でこそこういう状態であるものの、過去、今生きている私たちではまったく考えもつかないような意味と、現実がそこにあったかもしれないのだ。
驚くほどの観光客の数なのに、それが気にならないほど、ここの空気は不思議だった。門が閉まるまでの3時間半、私はこの写真の女の子のように、人が少ない場所を見つけて佇んでいた。
January 20, 2011
久々のロシア語
1月、18日。
今日の夜行列車で、エジプト国内を南下しようと決めた。調べてみるとエジプトはピラミッドだけではない。世界で一番透明度が高いと言われている海や、モロッコのような美しい風紋の見られる砂漠、そして紀元前の巨大神殿遺跡。イスラム以前のコプト教。それらのもつ魅力が全く様相を異にするので、自分がどこへ向かえばいいのか多少迷いもしたものの、一人で海に入ってダイビングする気持ちになれず(海の中は怖い)、カイロで見たコプト教に心惹かれたので遺跡のある場所へ行ってみようと思ったのだ。
夜行列車は久しぶりだ。グルジアでTくんと山の方へ行った以来だ。
チケットはなぜか座席のものが買えず。エジプト人でごった返しているカウンターに並んだものの、どうしてもツーリスト用のカウンターをすすめられ、そこでは高い寝台のチケットしか売ってくれなかった。ただ私も、もうこの先の旅が続かずもうすぐ終わるということもあってか、少々高くても、ゆっくりできるほうがいいかなと思い買ってしまった。
駅で電車が来るのを待っている間、どんどんホームに外国人が押し寄せてきていた。中国人、韓国人、ヨーロッパ人。私が買ったチケットは誰かと2人のコンパートメント。どんな人と一緒になるだろうと思いながらも、騒々しいのは嫌だな、と考えていた。
列車が来て部屋へ行くと、すでに一人の女性が腰掛けていた。彼女は私を見るや微笑んでくれ、ああいい感じとすぐさま名前を聞くと、イリナといってロシア人だという。私はこのときまで知らなかったけれど、ここエジプトに旅行に来るロシア人は多いようだ。
イリナはとても私に興味を示してくれて、そして私から話しもしないのに南インドの話しをする。こんなところで私たちが繋がっているなんて思いもよらない。彼女は南インドが大好きだそうで、私もだと答えると、私以上につたない英語でその喜びを表してくれた。
彼女は友人2人と旅行をしていて、誰もガイドブックを持っておらず、私にエジプト内のいろんな場所のいい宿を聞いてきた。もう50歳にもなる彼女が、こんな風に地図も持たず旅をしているんだなと思うと面白い。私はほとんど忘れかけていたロシア語を搾り出した。少しずつ私の口から出てくるロシア語に、彼女は心の底から笑う。ああ、たのし!
彼女と私の行き先は違っていたため、列車を降りるときに私たちは別れることになったが、モスクワに来るときは絶対に私の家へ来てと言う彼女に、いつか私が本当にモスクワに行く気がした。ロシア自体に興味を持っていなかった私にとって、また新しい興味が湧いた。そんな意味でイリナに感謝もする。
今日の夜行列車で、エジプト国内を南下しようと決めた。調べてみるとエジプトはピラミッドだけではない。世界で一番透明度が高いと言われている海や、モロッコのような美しい風紋の見られる砂漠、そして紀元前の巨大神殿遺跡。イスラム以前のコプト教。それらのもつ魅力が全く様相を異にするので、自分がどこへ向かえばいいのか多少迷いもしたものの、一人で海に入ってダイビングする気持ちになれず(海の中は怖い)、カイロで見たコプト教に心惹かれたので遺跡のある場所へ行ってみようと思ったのだ。
夜行列車は久しぶりだ。グルジアでTくんと山の方へ行った以来だ。
チケットはなぜか座席のものが買えず。エジプト人でごった返しているカウンターに並んだものの、どうしてもツーリスト用のカウンターをすすめられ、そこでは高い寝台のチケットしか売ってくれなかった。ただ私も、もうこの先の旅が続かずもうすぐ終わるということもあってか、少々高くても、ゆっくりできるほうがいいかなと思い買ってしまった。
駅で電車が来るのを待っている間、どんどんホームに外国人が押し寄せてきていた。中国人、韓国人、ヨーロッパ人。私が買ったチケットは誰かと2人のコンパートメント。どんな人と一緒になるだろうと思いながらも、騒々しいのは嫌だな、と考えていた。
列車が来て部屋へ行くと、すでに一人の女性が腰掛けていた。彼女は私を見るや微笑んでくれ、ああいい感じとすぐさま名前を聞くと、イリナといってロシア人だという。私はこのときまで知らなかったけれど、ここエジプトに旅行に来るロシア人は多いようだ。
イリナはとても私に興味を示してくれて、そして私から話しもしないのに南インドの話しをする。こんなところで私たちが繋がっているなんて思いもよらない。彼女は南インドが大好きだそうで、私もだと答えると、私以上につたない英語でその喜びを表してくれた。
彼女は友人2人と旅行をしていて、誰もガイドブックを持っておらず、私にエジプト内のいろんな場所のいい宿を聞いてきた。もう50歳にもなる彼女が、こんな風に地図も持たず旅をしているんだなと思うと面白い。私はほとんど忘れかけていたロシア語を搾り出した。少しずつ私の口から出てくるロシア語に、彼女は心の底から笑う。ああ、たのし!
彼女と私の行き先は違っていたため、列車を降りるときに私たちは別れることになったが、モスクワに来るときは絶対に私の家へ来てと言う彼女に、いつか私が本当にモスクワに行く気がした。ロシア自体に興味を持っていなかった私にとって、また新しい興味が湧いた。そんな意味でイリナに感謝もする。