January 13, 2016

o da bo Nigeria

2016年1月13日。
今、Lagosレゴスの空港だ。外国人にほぼ会わなかった22日間だったが、さすがに空港ともなるとアジア人がいる。チェックインするとき、後ろから「すみません」と日本語で話しかけられたとき、とてもイヤな気分になった。私は日本に向けて飛び立つんだ、もうあの、ローカルな黒人たちにはまた会えなくなるんだ…。

ナイジェリアに来たときも思ったけれど、飛行機の中でフレンドリーな黒人さんには会わなかった。みんなハイクラスな服装をしているけど、マナーのない人は多く、私のことも見て見ぬ振りをし、時に私について話していたり。イヤな気分になることが多かった。ナイジェリアを旅したことのある友人は、「ナイジェリア外の国で生きているナイジェリア人よりも、ナイジェリアに住んでいる人の方が好きです」と言っていた意味が、少しわかるような気がした。
そんな飛行機の旅がまた始まる。Dohaドーハで乗り換えるときは、日本人も多いだろうと思うとまた気が病む。

ナイジェリアでできた友人たちのほとんどが、日本に行ってみたいと言った。ハイクオリティでクリーン。そんなイメージばかり、多くの国で耳にしてきた。どうしてそこに、ナイジェリアのような親切心と何でも楽しむエキサイティングな心があまり感じられないんだろう。

Lagosレゴスの空港でチェックインするとき、預ける荷物をスキャンする機械がなく、なんとみんなの見ている前で荷物を開けられる。かなり適当ではあるけど、バックパックを開けるには結構な勇気がいるし、下着とかあるのに男も女も関係ない。Yemiから話には聞いていたけど、空港を利用する場合、4時間前には到着しておくのがいい、というのがよくわかった。タクシーでくる場合、フライト時間のマイナス2時間をドライバーに伝えておくのがちょうど良い。

空港では微弱なワイハイが繋がった。Yemiに電話をし、ナイジェリアでお世話になった人たちにメッセージを送った。思えば、国を出るとき、日本ではない友人に連絡するのは初めてかもしれない。一ヶ月未満でこんなにもナイジェリアが好きになった。

オダボ、ナイジェリア。
またヨルバ語を使うときが来ることを願って。image

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ナイジェリア人の豪快さ

Oshogboオショグボを出る日、その出る時間までみんなが一緒にいようとしてくれた。Yemiは、ろうけつ染の蝋を取る作業を見せてあげる、と言って準備しだす。Joyが頭にいろいろとものを乗っけて運び、石炭で日を炊き、その中にろうけつ染をした布を入れる。そのあと、水に洗濯粉を溶かした中に入れ、Yemiがひたすら洗う。

この作業、その工程ももちろん面白かったけれどそれよりも、熱くなった石炭の中に新たな石炭を手で入れたり、熱湯につけた布を素手で持ったりする彼らの素手の強さにはほとほと呆れる。

これまでも、暗闇の中でアカラを作る女の子が同じように素手で、火の中の木々をとったり入れたりし、揚げ終わったアカラをすぐに素手で持ったりするのを見て、本当についていけないと思っていた。

シャワーも、みんな水のままだ。ホットウォーターなんてほとんどの人が使わない。あなたはアフリカ人なんだから、と、Yemiにホットウォーターを頼む度に断られて遊ばれた。もちろん最後には出してくれるけど、電気が落ちているときは出してもらえない。

肌の色が違うだけじゃない彼らの豪快さに、呆れながらもいつも心配で目が離せない。image

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January 11, 2016

I miss Nigeria

2016年1月11日。
とうとうIshogboオショグボを出るのが明日に迫ってきた。明後日には、ナイジェリアを飛び立たなければならない。日本での生活に戻るのは容易だとは思うけれど、あまりの違いに心がスケジュールに追いつけない。
基本的に平日はYemiは仕事をする。染物だ。豪快な染め方。週末はダラダラしているが、平日も染め終わるとダラダラしている(笑)。
昨日、僕は42歳だと言われた。あれ?会った日は34歳って言ってたよね?と言うと、君に気に入られたかったんだ、と言われた。彼はとてもお茶目な性格をしていて、服装もアフリカンな服の時以外は半ズボンにTシャツだから若く見える。42歳、嘘でしょ!?と思うので、8歳もサバを読んでも全然イケる。というか34歳の方が自然だ。彼が年齢を言った時、彼の友人たちも周囲にいたのに何も言わなかったよね?と言うと、みんな本当の年齢は知らないかも、と言った。マジで?友達なのに(笑)?

毎日Joyの作るご飯を食べ、Yemiの友人たちと話し、ゲストハウスの大きな庭で大きな亀とダックと孔雀と多くの木々たちと戯れる日々。外に散歩に行ったりご飯を食べに行ったりすると、出会うほとんどの人に声をかけるYemi。…これが、日本だったらどんなにいいだろう。彼らにとって当たり前の、人と人との触れ合いが、日本では皆無だと知ったら本当に理解できないだろうな、と思う。出会うナイジェリア人のほとんどが、日本に行ってみたいと言うけど、実際に行くと何日もつだろう。

庭に1人でいる時。部屋に1人でいる時。朝の光が闇の中に生まれる時、夕日が沈む時。涙が出てくる。I miss Nigeria.まだナイジェリアにいるのに、その心が隠れない。image

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アイムソーリー

ここナイジェリアで、不思議に思うことがある。
ナイジェリアはアスファルトではないところが多い。アスファルトであっても、その両端は土で、盛り上げられたアスファルトから落ちると結構深い。溝がある場合、その中には野良の鶏がひよこを連れていることが多くて、踏みそうになる。土の道も、ゴミが混ざっていることが多く、もちらん平らではない。なので、歩く時は必然と足元と車などにひたすら気をつけなければならない。
これが暗闇となると、一度歩いたところでないと本当によく分からない。何度もつまづく。この、つまづいた時、必ずと言っていいほど、その近くにいるナイジェリア人にソーリーと言われる(笑)。
道路がでこぼこなのはあなたのせいではないのに。

何かにつまづいたとき、砂に滑ったとき、排気ガスを避けたとき、排気ガスに咳をしたとき。乗り合いバスに乗っているとき、道の凸凹に車が跳ねたとき。

こんなにソーリー、アイムソーリーと言われる国は初めてだ(笑)。image

saraswatiganesh at 21:20|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ナイジェリア 

アカラを食べに

2016年1月9日。
何だかとてももてなされている、2度目のOshogbo。たった10日後のカムバックに、みんなが喜んでくれた。Joyはみんなの食事を作り、Yemiは自分が描いて染めた布で私にドレスを作ってくれた(町のテーラーに頼んでくれた)。ありえない歓迎ぶりだ。帰ってきたことを少し後悔する(笑)。Yemiの友人たちは英語で挨拶してくれ、ワイワイと楽しかったけど、やはりみんなヨルバ語で話している方がサマになる。盛り上がってくるとヨルバ語になり、それをヒアリングするもほとんど分からないが、それでもこの言葉が好きだ。
Yemiが、You are African!と何度も言ってくる。ヨルバ語の名前ももらい、ヨルバの人たちが食べるものを食べていると、なんだかそんな気にもなってくる。実際、日本人の理解できないところは多いけれど、出会ってきたアフリカ人たちはとてもシンプルに分かりやすい。

夜、何が食べたいかと聞かれた。毎回聞かれる。今日は外に行こうと言うと、OK、とヨルバの人たちの発音で言われた。この、動きのあるOKの発音が好きだ。

ゲストハウスから歩いて5分の、小さな店に行った。店と言っても、木々を組み立てて作った小屋で、日本の台風なんかに遭ったらたちまち崩れる感じの店だ。屋根があるだけの小さなスペースで、高校生くらいの女の子が火を作り、大きな鍋を温めていた。中には油が入っているらしい。アカラはこれから作るようで、組み立てられた長椅子を持ってきてくれたので3人で座った。ほぼ暗闇なので分からなかったが、座って初めて、小さな子供たちが辺りにいっぱいいることに気付いた。みんな、少し離れたところで何やらごにょごにょ話している。
それをじっと見ていると、どうやら私が珍しいようだ。私が見つめた子はハッと両手で顔を隠し、みんなのテンションがマックスになってきた。ただ椅子に座っているだけの私に、ずっと楽しんでいる(笑)。手を伸ばそうものなら大声を出してみんな楽しそうに避ける(笑)。
Yemiが、ワンダフルチルドレン、と言った。まさしくその通り。
アカラができるまでの30分間、そうやって彼らと遊んだ。言葉はこんばんは、というヨルバ語しか話していない。なのに心の底から楽しんでくれている。ふと、暗闇の中で、あ、これが愛だと思った。

変なことを書くけれど、今まで生きてきて人と愛について話した時、心から同調できることは少なかった。男女の愛、友愛、家族愛。どれも時間の長さが比例していたり、特定された人へのものだ。…でも、これは違う。生きている中で、短い時間すれ違うだけの人。会うだけで、心の底から喜び合えること。そう、これが、今という時間とともにある愛だ。
そう思うとちょっと涙が出た。暗闇だから、誰にも気づかれずに済んだと思うが、アフリカ人は驚くほどに目がいい。Yemiには、見られたかもしれない。image

saraswatiganesh at 02:36|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ナイジェリア 

I come back Oshogbo

2016年1月8日。
Oshogboオショグボに着いたのは19時を過ぎていた。Yemiには朝の6時に宿を出ることを伝えていたから、さぞかし心配してるだろう。その私の心を読み取られて、同乗していた女の子が気にしてくれ、携帯を貸してくれたのでYemiに連絡できた。
すでに暗くなっていたOshogbo、着いたところは何となく見覚えがあるような気がしたが、よくは分からなかった。車の助手席から外を眺めた瞬間、目の前にYemiがいた。あまりにも唐突だったので、一瞬誰か分からず、話しかけられているのにほうけてしまった。
Yemiは、私が車から出るなり抱きついてきたが、とりあえず振り払って荷物を持った。
お腹減ってない?疲れた?先にシャワーを浴びる?と色々気にしてくれるYemi。何だか、妻のようだ(笑)。近くのレストランで食事を買って持ち帰り、ゲストハウスで一緒に食べた。

Oshogboは、何も変わっていない。たった10日足らずなのだから当たり前だけれど。でも、このヨルバの人たちがすでに懐かしく感じてしまう。何故か、日本にいるときから、このヨルバ族の人たちのことは気になっていた。実際に会うと、他のアフリカ人たちよりも背が低めで、お茶目で陽気で。ぼてっとしたお腹の人も多い。どこか、愛らしい風体だ。

今日を含めて4日間滞在する予定のOshogbo。彼らと仲良くなったことで、大幅に旅のスケジュールが変わり、行きたかったけど行かないことにした街も多い。でもそれが、旅の醍醐味なんじゃないかとも思う。予定は未定。それは今を楽しんでるってことだから。image

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Kaduna

2006年1月8日。
ここKadunaカドゥナに3日間滞在して、今日Oshogboオショグボに戻る。
Kadunaは過ごしやすいところだった。一応ナイジェリアの北部に捉えられるけど、実際はほぼ真ん中あたりにあり、北部のハウサ族と南部のヨルバ族、イボ族が混在している。そして、どこか整った街並みで、首都のAbujaアブジャよりも小さめ。歩くには広いけど、散歩コースは幾つもあって歩きやすかった。ただ、ローカルな場所がホテルエリアからは離れているようだった。
毎日6キロは歩いて、レストランや路上のごはん屋で食べ、出会う人たちに手を振り返す日々。微弱ながら宿でwi-fiも繋がったので時々OshogboのYemiや日本の友人たちとメッセージのやり取りをしていた。
Oshogboでは1人にさせてくれない状況が毎日だったことが少し苦痛だったけれど、こうして10日間ほど彼らと離れると寂しくなるから勝手だ。

ここKadunaからOshogboは遠い。シェアタクシーで8時間とYemiから聞いたけど、実際には10時間かかった。朝早くに宿を出たものの、朝の6時には路上に誰もおらず、近くを通る乗り物の光に必死に手を振るとバイクに乗っていたポリスマンが止まってくれた。しかし大通りに出たあたりでパンクし、危うく大惨事となるところだった。モトパークに着いたが、実際車が出発したのはなんと9時だった。ナイジェリアは、決まった時間に車が出ないことが不便に感じるときがある。自分が行く先に行く人が集まらないと出発しないのだ。

3時間モトパークで待っている間に、仲良くなった親子がいた。ハイ、と話しかけてくれたFaleedaファリーダは18歳で、とても綺麗な英語を話した。Kadunaには戻ってくるの?と聞かれ、No.but I want to come back Nigeria.と言うと嬉しそうにして、次来たら必ず連絡して!と携帯番号を教えてくれた。

出会いとはいつ来るか分からない。一瞬、今日Oshogboに戻るのを止めようかと思ったけれど、やはり先に行くことにした。今日戻らなければ、Yemiがとても心配するのが目に見えていたから。image

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January 08, 2016

ナイジェリア旅情報

ここいらでちょっと、ナイジェリアを旅するにあたって少しだけでも役に立つかもしれないことも記そうと思う。それは、私がナイジェリアに来るにあたり、そうした情報がほぼ無かったからだ。

以下、2015年12月23日から翌年1月に旅した内容である。

・ガイドブック
ロンリープラネット西アフリカ版。ただし、2006年以前のものが詳しい。内容は古いが、地図がある。最近のものはほとんど、ラゴスとアブジャ以外は地図がない。私は一応、古いものと新しいもの両方持ってきていた。

・移動手段
長距離移動
基本的にMotor park(地元ではモトパークとみんな読んでいる)がどの街にもあり、そこから各地へのシェアタクシーが出る。距離によって値段が違い、車への詰め込み具合では値段は変わらない。そこは、運だ。安くて500円、高くて3000円といった感じ。
このシェアタクシーは時速120キロほど出して走る。クラッシュしている姿は何度も目にする上に、何度か乗っていると途中で故障することもよくある。よくあることなのでみんな動じず、ドライバーがOKというのをじっと待つが、本当に直っているのか定かではない。
短距離移動
どの街にも、短距離移動には困らない。街によって走っているものは違うが、旅行者に分かりにくい市内小型バスは、行き先を叫んで客寄せをしているので、同じ街に滞在していると分かるようになってくる。どこにでも行ってくれるのは、インドのリキシャが安い。3キロくらいで50円から100円。また、バイクを持っている若者は大抵小銭稼ぎのために、バイタクをしている。その辺に止まっているバイク持ちの若者に声をかけると後ろに乗せてくれる。
長距離移動を終えたあと、到着する街のモトパークから市内へは、大抵ボラれる。ので、安くあげたい場合には、モトパークから歩いて道路を走っているリキシャを捕まえるのがいいだろう。それでも、大荷物を持っていたらボラれるかもしれないが、ボラれる確率はインドより結構低い。

・宿事情
これがかなりの難関だ。ナイジェリアは宿が高い。私は女なこともあり、あまり安いところへは泊まらなかった。この22日間で、安くて2500円、高くて6000円。都市部になるほど宿は高い。200$と大きく看板に書いているホテルもよく見かけた。
なので、宿はある程度調べていきたいところだが、2006年版のロンプラにある宿はほとんどが値段が上がっている上に古くなっており、同じ値段で他にもっといい宿がある。年末年始ではあったが、元旦に移動した日以外はすんなり宿にありつけた。モトパークに到着したあと、いくらくらいのホテルに行きたい、知ってるか?と、その辺の人やリキシャの人に聞くと教えてくれる。あと、カウチサーフィンという手もある。また、私の友人(男性)は、バーやシェアタクシーの中で出会った人に泊めてくれ、と言って多くの友人を作っていた。もちろん、女の人はこれをしてはいけない。ナイジェリア人から見たら、日本人はとても可愛く見えるようだ。

・食事
ナイジェリアはかなり辛いと聞いていたが、その通り、かなり辛い。
朝は路上の揚げ物屋が一番安いだろう。ヤムイモやパンのようなものを揚げたものが並んでいて、どれでも1つ5円。そこに少し辛めのソースをつけてくれる。
昼は、みんな2時頃に食べる。小さな小屋のような食堂が安い。エヴァというねちょっとしたものや、白くて味のしない丸くボイルされたものに、魚やチキンなどの肉が入った赤いソースを付けて食べる。だいたい、130円から200円くらい。レストランもある。レストランは大抵注文しやすく、辛くない料理もあるがもちろん高い。値段は外装でだいたい想像できる。200円から1000円くらいで、チキンや魚のついたライスのメニューが食べられる。量も多い。レストランは大抵何時でも食べられる。

・物価
水はボトルウォーター(なぜかほとんどが750ml)で25円から50円、オレンジジュース1リットルで100円。冷たくても冷たくなくても値段は同じ。ボトルウォーターの値段が違うのは、どうやらメーカーの違いのようだ。
バナナ一房の半分で50円から100円。アフリカのあの派手な布は6フィートで850円が最安値っぽい。5年前、10メートルで1000円くらいだったからそんなもんか。この値段はニジェールとのボーダーで買った時の値段で、ナイジェリア内部のどの都市でも、聞くとこの値段の倍以上を言われた。

・言葉
英語がほぼ通じるが、インドとはまた違った、不思議な発音をする人が多い。時々分からない単語が出てくるが、何度も聞くととても簡単な単語だったりする。
南西部はヨルバ語、南東部はイボ語、北部はハウサ語、と、この3種類を少し覚えながら旅すると、人々ととても仲良くなれる。知らなくても、ほとんどの人が親愛なる優しさを込めてニーハオと挨拶してくる。
また、どうやら大人の人で文字を書けない人が結構いるようだ。シェアタクシーに乗るとき、名前や住所を書かされるのだが(事故率が高いから?と不安になる…)、そのとき、代わりに書いてと言われることがあった。

・お金
全てお札でコインはない。小銭を持っていないとお釣りのないことが多すぎる。基本的にみんな持ってるんだけど出さないようにしているので、私も同じようにしていた。本当に相手が持ってないと思うまでとぼけ、本当に持っていないときは、あ!あった、というようにとぼけて出した。そうして何とか小銭を集められた。基本的に1000ナイラ札しか持っていない状態では、損しまくる。

・レート
空港では、1$が250ナイラだった。あとで友人に聞くと、ラゴスでは、街中でもっといいレートで換えられるようだが、どこでかは知らない。そのあともオショグボで、仲良くなった人に頼んで両替したが、銀行ではなく闇両替で、同じレートだった。闇両替のときは、全部500ナイラ札にしてくれたが、空港では1000ナイラ札以外は取り合ってもらえなかった。また、どちらもレシートをもらえなかった…。

・必需品
行く時期によると思うが、年末年始は朝晩が寒かった。上着を空港に忘れてしまったため、私は風邪を引きそうになった。上着は必需品。また、年末年始の場合、ドライシーズンだからか昼間も陽が射さず、強風のことがよくあった。そんなときは砂嵐が絶えず目に見える。コンタクトの人はコンタクトの予備、そして眼鏡は必要。
私は半袖を何枚も持ってきていたが、あんまり着なかった。長袖の方が役に立った。
マラリアはあまり無いようだけど、蚊よけスプレーは必要。オショグボの森は、蚊だらけ。
蚊帳も日本から持参していたが、いい宿に泊まっていたこともあり使うことはなかった。蚊取り線香は何度か使った。

・ネット事情
驚くほどに悪かった。サイバーカフェはあるけど、ワイハイがない。ワイハイが繋がったのは、5000円以上の宿に泊まっていたときだけだった。その他は、Windowsxpなどのパソコンを1時間60円から100円くらいで使わせてもらえるけど、メールは開かず、フェイスブックしか開けられなかった。また、年末年始や日曜はサイバーカフェは閉まる。
ナイジェリアに行ったことのある友人は、ワイハイがないことなど、そんなことは無いはずだ、と言っていたので、私が運が悪かったのかもしれない。

・治安
北東部のボコ・ハラムの誘拐、殺戮報道が多いことから、旅行者はほとんどいない。というか、22日間の旅の中で1人もバックパッカーに会わなかった。北部も危ないということで外務省のホームページでは渡航延期勧告(オレンジ色)になっているが、ナイジェリアの誰からも、「ボコ・ハラムが危ないから北部へは行くな」とは言われなかった。それより、「なぜ行くんだ、せっかく友達になったのに」と言われて引き止められることばかりだった(笑)後から知ったが、この年末年始にもボコ・ハラムの活動が激化し、100人ほどが死んでいるとネットニュースで見たが、現地ではそんなニュース見てなかったし、それよりも車のクラッシュで何人死んだ、というニュースが紙面のトップだった。
また、警察の腐敗で有名なナイジェリアだが、それを感じたのは北部のカノからさらに北部のザリアまでの移動中に、何度も車を停められてパスポートチェックされたときだけだった。全ての人がビザの見方も知らず、ずっと眺めたあと難癖付けてくるのだが、1つ1つきちんと説明すると、お金も取られずOK、私は日本に行ってみたい、バイバイと言われた。腐敗、とまではいかない出来事だったけど、これ以外に警察の人たちと話すことはなかった。街中で手を振られることや、朝ごはん屋で水をおごられたり、と、基本は優しかったが、大きな銃を持っているので安心はできなかった。

・女1人で旅行できる国かどうか
可能。ただし、上記のことができる人でないと厳しい。インドを1人で旅行することが苦で無いなら可能だと思う。ほとんどの人はとても親切だし、インドよりもお金に対しての下心が無いような印象だった。が、もちろん必要以上に欲求されることもしばしばあるけど。
お金は基本的に、リュックと手提げの2つに分け、どちらかをとられても何とかなるような状態に荷物を分けておくこと。長距離移動の日は朝早くに宿を出ること。男の人から誘われてもついていかないこと。夜は出歩かないこと。

と、こんな感じかな。
基本的に人はとても親切だし、私はヨルバ族とハウサ族のエリアしか行かなかったけれど、どちらも言葉を教えてもらえる友人はすぐにできた。リキシャに乗り合わせた人とか、宿にいた人とか。What'sAppというアプリを使っている人が多く、その番号を交換すると、旅中、そのアプリでも言葉を教えてくれた。歩いていると遠くからも手を振ってくれるし、誰とも話さない日なんて1日もなかった。
宗教色や民族色が薄らいでいっているようには思う。ナイジェリアより西の、ベナン、トーゴ、ブルキナファソ、マリあたりはもう少し民族色も強かった。だけど、ナイジェリアの人たちは、生きることが闘いだとでもいうような、何というか、生きる危機感みたいなものがある。それが強くも逞しくも見えた。また、きっと私の見えないところで、民族の宗教色はあるように思う。

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January 07, 2016

便利化していく旅

今回、ナイジェリアに来るにあたって、若い友人から旅で便利なアプリを教えてもらった。これが相当に便利で驚いている。それと同時に、ほんの少し寂しい気持ちにもなっている。

旅慣れしてきていることもあるだろうけど、私はいつも1人で旅している時、移動日がとても不安だ。リキシャにボラれたりしないかとか、調べていた宿は空きがあるだろうかとか、道に迷わず着けるかとか。
それと同時に、毎日、宿の部屋のドアを開けることが刺激的だった。今日はどんなことが起こるのか、同じく道に迷わないだろうかとか。
この、「道に迷わないかどうか」という不安が、maps.me というアプリで全く不安でなくなった。しかしそれは、人に道を聞くことがないということとも言える。

旅中、人に道を聞かない日なんてなかった。方位磁石は持ち歩いているものの、方向音痴の私にとって、道に迷うということは日常茶飯事だったから。

以前、一ヶ月半ほど一緒に旅したことのある同年の友人が、「今の旅人には情報ノート(宿にある旅の情報を旅人が書き記していくノート)で旅してる人なんていないよ」と言われた。情報ノートは情報が古いことがあるけど、でも、ノートに書くかどうかを考えてから書かれているから、結構有力な情報も多い。情報ノートにお世話になると、違う宿で自分もお返ししなきゃ、と書き記していたことを思い出す。そこにメルアドも書いたら、メールが来たこともある。
今の子たちはブログを参考にしているらしい。ま、その方が詳しいだろうけど…。

インターネットが普及して、ワイハイが繋がる国も多い。どこにいても、誰とでも話せる。とても便利だけど、不便であったあの頃のことを思い出すと、あの頃旅しといてよかった〜、と思う自分がいる。

そういえば、あの頃、同じことを言っていた歳上の旅人がいた。みんな同じことを思うんだ。そして、便利になっていっても旅を止めない(笑)。

私もそうでありたいと思う。世界の変化を自分の目で感じ続けていきたい。そこに住んでいる人たちと目を合わせたい。

そんなことを同じように思う友人が多いことに、何だか感謝したい気分だ。image

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January 06, 2016

生きていくには

どこの国でも、物乞いはいる。ここナイジェリアで物乞いをしている人は、老人と障害者、路上生活している子どもたち、とこの3パターンに分けることができるようだ。それ以外の物乞いの人は見かけない。
老人たちは、幾らかの荷物を持って、店さきなどに腰掛けている。ただの人かと思いきや、近くの店で買い物をすると手を伸ばしてくる、必ず笑顔で。
身体障害者の人は、健常者の人に押されながら車椅子に乗って、モトパーク(長距離移動するときの車が集まっている場所)にいることが多い。見た感じ知的障害者、身体障害者たちには会っていない。
路上生活している子どもたちは、2人以上で行動しているような感じだ。プラスチックの容器だけ持って、何やら呟いてくる。

ただ、物乞いの人たちがただ座って物乞いをしている様子はほとんど見ない。また、どこの国とも同じように、ほとんどの人が施さない。

ナイジェリアを旅していて驚くのが、物価の格差だ。その辺の路上で100円以下でお腹いっぱいになるけど、安宿はほぼなく、宿は2000円から10000円、1番多いのが5000円くらいの宿。これってかなり高い。レストランに入ると500円から1000円くらい。ローカルマーケットの中にある小屋の食堂で100円から200円くらい。スーパーマーケットでパンを買うと100円以上、お菓子類はほぼ日本並みの値段。でも、ビスケット類は安い。
スーパーマーケットでは、ナイジェリアで作られたものがほとんどなかった。ローカルマーケットに売られている衣類系は、女の人の布以外は中国系からの輸入品ばかりで、古着も多い。小銭稼ぎをしている人がとても多い。

商売しないと生きていけない、そんな感じを人々から強い印象で受ける。それが物作りを忘れてしまった原因なのだろう。手作り品をマーケットで探すのが本当に苦労する。

5年前、ここナイジェリアよりも西の国ではそんなことはなかった。手作り品で生きている人たちがたくさんいた。彼らは今、どうなっているんだろう。image

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